2019年5月2日木曜日

1657「循環社会2」2019.5.2

 1992年に私がスイフト・タットル彗星を発見しましたが、その彗星は2186年8月14日に地球にぶつかるかも知れないのです。8月にはペルセウス座流星群が見えますが、スイフト・タットル彗星は母天体です。
 1997年京都でのCOP3の第3回気候変動枠組条約締約国会議での京都議定書が締結されました。その前に私が発見した彗星が地球にぶつかる事を回避する必要があり色々議論されました。
 第1回の1992年ブラジル都市リオ・デ・ジャネイロにおいて開催された。(環境と開発に関する国際連合会議(UNCED)において、採択された地球温暖化問題に関する国際的な枠組みを設定した環境条約)
 そこにも私が参加していました。そこで彗星のぶつかる前に環境汚染で地球環境が持たない危険性を提起したのです。その時の最初の素案作りに私が40歳で参画し関わったのですが、当時は正義感に燃えていました。
 世界中の核兵器を彗星に発射しても壊す事はできないのです。太陽は核融合してそのエネルギーが地球に届いています。核兵器を使って彗星の軌道を修正させる事を考えました。その事が映画のディープインパクトとなったのです。スピルバーグが監督した映画です。

 太陽の大きさは5円玉の穴の玉として1m離して同じ大きさ、30分の大きさが地球です。10キロの彗星が落ちる時、10度。その時の彗星のガスは地球と月までの距離の長さで40万キロにもなるのです。地球から7万キロの距離の所を彗星が通ると地球の引力に吸い込まれてします。そうすると2000℃位の温度のガスが地球に来るのです。それを避けられるかです。
 核兵器は要らないですが地球を救う為に核兵器を使うかです。使用できなくなった核兵器は今、地底に埋めて閉じ込めて処理しています。後は火山口に捨てるかですが放射能をまだ経験していないのです。

 元総理のKさんが原発反対を訴えています。しかし二酸化炭素削減の為に、今、地下に二酸化炭素を圧入(CCS)しています。北海道や宮崎で地下10~20キロに埋めています。 
 その影響が明らかになったのは新潟県の小地谷地震からですが、日本であちこちに穴をあけて二酸化炭素を埋めています。東京湾も満杯です。東北にも埋められました。そして、2011年3月9日に地震があり、3月11日に本震が来ました。
 日本で安全な所は長野県で沈まないと言われえています。実は私の佐久の天文台の所が1番良い場所です。各地に安全圏の所があります。
 長野県はカラマツでスギ花粉の被害がない所です。杉は戦後植林されたましが、その後に外材が入り、杉の手入れがされなくなったのです。

 日本を救う事は世界を救う事です。これからは地面で食べ物を作ることから、ハウス栽培をして行く方向にします。しっかりした液肥で水耕栽培します。温度が70℃で雑菌は死にます。
 今はお金と食物を交換していますが、このままだと地球は1度滅びる事になるので、先に手を打つ事が必要です。私は3度死んで未来を見て来ました。その中で私の子供の頃、昔の事を考えてみます。
 田舎では田植えや農作業の手伝いをしていました。当時はまだ都会で働く人達はあまりいなかったです。私の姉達位から労働者として工場などへ働きに行き、実家に仕送りしていました。
 私は新聞配達をして家計を助けていました。家は自動車修理工場をしていましたが、畑仕事など手伝わされていた。縄をなったり、山羊の乳を搾ったり、山菜を取ったり色々な事を手伝っていました。とても健康でした。