2019年5月21日火曜日

1676「南三陸16」2019.5.21

 南三陸町入谷山の神平にある神行堂山麓の巨石群は驚きの磐座です。何度も訪れていますが山は雪に覆われています。
 のどかな里山の景色が広がる入谷地区の北には神行堂山(しんぎょうどうざん)が北に、惣内山(そうないさん)は東に、そして童子山(どうじさん)が西にあります。その童子山周辺では砂金採取が行われ、弓折産金遺跡があります。童子山麓には周辺の峠から水路を引いた跡や、砂金で栄え、多くの家々が立ち並んだという「入谷千軒」の伝承も残されています。
 江戸時代以降は幕府内で生糸の需要が高まる中で入谷の農家の副業として養蚕業が発達し、昭和初期の頃まで盛んに行われていました。
 先に訪れた本吉明神はこの童子山麓にあり、三山を結ぶ三角形の中にあります。そして神行堂山の巨石はこの三角形のほぼ中心にあるのです。
 
 その神行堂山に付いては以下の表記があります。
「入谷地区の最高峰で、標高461mです。この山も惣内山と同様、入谷花崗岩帯の外縁部にあたり、航空写真で見ると、惣内山から坂の貝峠を経てこの山に至る山並みが桵葉川の盆地を取り囲んでいる様子がまるでハート型の右半分のように見えます。
 山名は山岳修験に関わるものらしく、南麓の花崗岩の巨石は高野山明神として祀られており、弘法大師ゆかりと伝える独鈷(密教の宝具)や蔵王権現像を持ち伝える旧家があります。」
「神行堂山は山岳修験の場で、その昔、弘法大師が巡錫のおり、この地に聖地を開こうとしましたがかなわず、のちに高野山に寺を開いたと伝えられています。」

 巨石についての表記です。
・神行堂山麓の巨石(入谷山の神平)
「入谷石の平に残る花崗岩の巨石です。古くからの信仰の場と伝えられており、巨石それ自体とその上方にそびえる神行堂山頂が信仰の対象だったようです。巨石は縦にいくつかに裂けており、その裂け目を歩いて通り抜けることができます。古くは通過儀礼の場としても用いられたらしく、悪心がある者が通ると岩幅が狭まって通り抜けられないと伝えられています。」
 
「この巨石は,二つに割れた石で,神行堂山に登る中腹の杉林の中にあり,成人に達した男女が社会人の仲間入りをするために,くぐり抜けなければならなかったと言われ,この石の中をくぐることを胎内くぐりといい,善人は通れるが,悪人の場合は石が狭まり通り抜けることができなかったと言われているそうです。」

 さらに以下の伝説があります。
「かつて大蛇が棲みつき,里を荒らすようになり,人々が退治に乗り出し,ついに巨石の上に追い詰めたが,大蛇は巨石の上にわだかまって人々を睨みつけて,しばらく睨み合いが続きましたが,不意にまばゆい閃光が走り轟音とともに,大蛇は岩もろとも二つに裂けて死んでいたとのことで,以後,二つに裂けた巨石を御神体として高野山大権現を祀り,毎年祭祀を欠かさなかったとの伝説も残されているそうです。」

 林の中の雪道を進むと直ぐに巨石が林の斜面に現れます。若者が善人、悪人の判断に挑戦しましたが目出度く通過出来ました。ここには木内さんは以前にも案内しています。その時は以下の様なお話をしてくださいました。
「巨石群の位置、方位を木内さんは確認しています。やはりこの巨石群の人工のもので明らかに方位を定め、暦とした活用し、儀式を成していたとおっしゃいます。年代的には縄文、あるいはその前かも知れません。」
820「陸奥光陰5」2017,1,15 https://tenmei999.blogspot.com/2017/01/8202017115.html

 雲間から光を差し出してきました。ありがたき巨石群を堪能して昼食会場に向かいます。