宿を7時45分にバスは出発です。最初の目的地は同じ町内の南三陸町入谷山の神平にある神行堂山(しんぎょうどうざん)の山麓にある巨石群です。
ここにはあわ歌の中山さんの巡りで10月に訪れています。駐車場から少し山道を登ると看板があり参道になっています。朝陽を頂きながら清清しい神気を感じる場です。
山の名前を神行堂山と言いますから、名の通り読むと、神行を行なうお堂の山です。霊験新たかな山として古から信仰の対象であったのでしょう。弘法大師との所縁もあり巨石は高野山明神とも言われています。
巨石群の位置、方位を木内さんは確認しています。やはりこの巨石群の人工のもので明らかに方位を定め、暦とした活用し、儀式を成していたとおっしゃいます。年代的には縄文、あるいはその前かも知れません。
神行堂山に付いては以下の表記があります。
「入谷地区の最高峰で、標高461mです。この山も惣内山と同様、入谷花崗岩帯の外縁部にあたり、航空写真で見ると、惣内山から坂の貝峠を経てこの山に至る山並みが桵葉川の盆地を取り囲んでいる様子がまるでハート型の右半分のように見えます。山名は山岳修験に関わるものらしく、南麓の花崗岩の巨石は高野山明神として祀られており、弘法大師ゆかりと伝える独鈷(密教の宝具)や蔵王権現像を持ち伝える旧家があります。」
更に神行堂山の巨石に付いての表記です。
「この巨石は,二つに割れた石で,神行堂山に登る中腹の杉林の中にあり,成人に達した男女が社会人の仲間入りをするために,くぐり抜けなければならなかったと言われ,この石の中をくぐることを胎内くぐりといい,善人は通れるが,悪人の場合は石が狭まり通り抜けることができなかったと言われているそうです。
さらに,神行堂山は,別名を高野山といい,昔弘法大師が寺を開こうとしたが果たせずに立ち去った地と言われているそうです。
また,この石には,こんな伝説も・・・
「かつて大蛇が棲みつき,里を荒らすようになり,人々が退治に乗り出し,ついに巨石の上に追い詰めたが,大蛇は巨石の上にわだかまって人々を睨みつけて,しばらく睨み合いが続きました。暫くして、不意にまばゆい閃光が走り轟音とともに,大蛇は岩もろとも二つに裂けて死んでいた。」とのことです。
以後,二つに裂けた巨石を御神体として高野山大権現を祀り,毎年祭祀を欠かさなかった。との伝説も残されているそうです。」