2017年1月27日金曜日

832「奈良田・富士4」2017,1,27

 次の目的地は富士宮市山宮の「山宮浅間神社」です。富士宮市では富士山本宮浅間大社が有名です。
「富士山本宮浅間大社は式内社、駿河国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。社家は富士氏。 全国に約1,300社ある浅間神社の総本社である。「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されている。」

 今回は時間も押していますので「山宮浅間神社」に向かいましたが、太陽も沈みだして夕暮れの時間に成ってしまいました。参道を急ぎ足で進みます。遥拝所の木々の間にかろうじて富士山を遥拝出来ました。




 山宮浅間神社に付いては以下の様に記されてあります。
「山宮浅間神社には富士山を遥拝するための遥拝所がある。これは、古い富士山祭祀の形をとどめているものと考えられている。遥拝所は溶岩流の先端部に位置し、遥拝所の周囲には溶岩礫を用いた石塁が巡っている。遥拝所内部の石列は、主軸が富士山方向に向いている。 
「富士本宮浅間社記」には、浅間大社は山宮浅間神社の地から移転されたとある。山宮浅間神社の創建年代は不詳だが、発掘調査では祭事に使用されたと推定される12世紀の土器(カワラケ)が出土しており、文献史料では16世紀から確認できる。 
 また、かつては、浅間大社の祭神が春と秋に浅間大社と山宮浅間神社を往復する「山宮御神幸」が行われていた。山宮御神幸の道筋(御神幸道)50町(1町は約109メートル)には、元禄4年(1691)に1町毎に標石が置かれた。明治7年(1874)以降山宮御神幸は行われなくなり、標石の大半も失われているため、現在正確な道筋は不明である。」


 気温も下がってきて風もあり寒さに耐えながらあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「うみう うみう うみう
 必ずの事なり。
 これより参る事ごと、皆々新たへと向かう事なり。
 しっかり受け止め、それぞれその身を立てて、
 この地と共に、遥かなるへ参られませ。」17:21

 既に宵闇が覆い、集合写真は撮れません。急いで今晩の宿のある下部温泉に向かいました。
 途中、下部温泉の町中で2次会用の飲み物、つまみを仕込もうと思ったのですが、コンビニは無く、あまりにも閑散としてお店がありません。かろうじて灯りの灯っているお店に入ってみましたが、昔ながらの商店でおばあさんが中かから出てきて応対してくださいました。これはというものを買い込んだのですが、お釣が無いとのこと、小銭はまけて頂来ましたが、閉店間際の大量な買い物のお客さんでおばあさんはご機嫌宜しく、おまけまで下さいました。 
 宿に到着は18時半を優に過ぎています。こじんまりした、小奇麗にしている和風温泉旅館です。部屋に入るなりコタツが置かれてあるのを見て、中山さんからマージャン卓だね、と声が出ました。急いで温泉に入って直ぐに夕食を頂きました。中々手の込んだ盛りだくさんな品数で美味しく、皆さんも杯が進んで大満足です。



 何故か2次会は、マージャンをすることに話が決まりました。女性の皆さんはほとんど知らないので最初はオープンで練習です。半ちゃん過ぎて、今度は男女のペアを籤で決めて、女性が主に行い、男性が後ろでサポートするペアマージャンです。半ちゃんを行いましたが、男性陣も久しぶりでそれなりに勘を取り戻し、楽しめました。果たしてその戦果は如何に?

 岩手のKさんがラス前の親の時に、七対子(チートイツ)でテンパって、待ち牌は「北」です。目出度く宮城のTさんが安全牌と確信して親萬を振り込んでしまいました。結局Kさんがトップとなりましたが、やはり「北」にエネルギーが集まっているようです。
 午前様近くに終了してゆっくりと休みました。