「鹽竈神社は、塩釜市北西部の一森山に鎮座し、古来より東北を鎮護する「陸奥国一の宮」として崇敬を集めている。境内の広さは28ヘクタールに及び、神社の杜は、室町初期に植えられた樹齢600年の杉の木を筆頭に、相当数の樹木で緑の生活が営まれている。
同じ山内の志波彦神社の境内に立てば、塩釜の浦の絶景を一望することができ、晴れた日は、遥か遠くの牡鹿半島や金華山まで見渡すことができる。「八百八島」と形容される日本三景・松島の半分以上の島が塩釜市に含まれることから、この一森山からであっても、十分に湾内の眺望を楽しむことができる。
鹽竈神社の創建年代は不明だが、その起源について次のような言い伝えがある。むかし、日本古来の武神である武甕槌(たけみかづち)と経津主(ふつぬし)の二神が、鹽土老翁神(しおつちのおじのかみ)の案内で東北に出向き、鎮定と開発を遂げた。その上に、鹽土老翁神が当地に留まって製塩の方法を伝授したことから、人々は、これらの恩に感謝して鹽竈神社を創り、三神を祭ったのだという。
爾来、鹽竈神社は、東北鎮護の国司や奥州藤原氏、中世には陸奥国の留守職伊沢氏、近世になってからは仙台藩伊達氏の崇敬・保護を受け、殊に伊達氏については藩祖政宗を初めとする歴代の藩主が大神主として神社を治め、社殿や拝殿などの造営に力を注いだ。現在の社殿は、四代藩主綱村が元禄8年(1695年)に着工してから吉村の代の竣工まで、9年の歳月をかけて造られたものである。」
拝殿を巡り帰りの道の舞台の前でTさんが舞いを始めていました。暫し観賞しました。舞って頂くのなら、私のお気に入りの志波彦神社前の小山へ案内しました。ここが元もと祀られていた地ではないのかと思えるほどにエネルギーが清浄で心地良い場です。
ここで彼女の舞を皆さんで見せていただきましたが、素晴らしい奉納舞です。
「松島湾に浮かぶ260余島を東西南北から一望する名所が「四大観」です。それぞれの場所から松島湾を眺めた印象から“麗観”“偉観”“壮観”“幽観”と呼ばれています。
松島四大観「富山」は松島四大観では“麗観”と呼ばれており、明治9年には明治天皇も登られたことのある由緒ある場所です。杉や松、樅の大木に覆われた山頂の大仰寺には、奥州三観音の一つ・富山観音が祀られています。松島湾の島々は、静寂な趣ただよう大仰寺の庭から東南西の三方を一望することができます。」
夕暮れ迫る中、富山に到着して展望台から松島の麗観の堪能できました。手前の朱塗りの観音堂もひっそりしています。奥州三観音の1つでその事に付いて以下の様に記されています。
「富山観音について大日本寺院総覧は次のように書いている。
大仰寺は宮城郡松島町手樽にあり、富山山頂に位置する。伊達藩主義山は、ここに五十石の寺領を寄付し、中堂を造った。明治天皇が東北巡幸のとき、この中堂の一室に休憩して、松島を一望された。南は相馬岬から東は金華山の間に点在する八百八島を展望することができる。寺の裏山山頂に大悲閣があり、延暦20年田村麻呂将軍が創建した。高さ一寸八分の本尊観世音があり、その側に武人姿の田村麻呂将軍の木造を安置している。将軍は、大竹丸を討ち取り、ここに葬って堂宇を建てたという伝承がある。」
富山を下り、近くの仙石線の矢本駅に向かいます。宮古島から参加いただいたTさんご夫妻とお別れです。最初の涌谷ですと仙台駅に戻るのは難儀でしたので富山に変更した経緯もあり、ここからだと仙台駅に直通で帰れます。震災で被災し内陸部に移転して全線開通して間もない仙石線です。新装成った矢本駅は周りは建物が何も無く、駅舎が光りを灯していました。またの来仙を願ってお別れしました。
今日の宿は南三陸ホテル観洋です志津川湾に面した高台からの景色は最高の温泉宿です。震災で甚大な被害のあった南三陸町で多くの被災者を受け入れて大きな支援を継続してくださったことで有名な宿です。
温泉に入って海に浮かぶウミネコを眺め、鮑がまるまる1個というステーキ等、美味しい海鮮料理に舌鼓を打ち大満足です。2次会も和気藹々楽しめました。