2017年1月1日日曜日

806「陸奥中心12」2017,1,1

 昼食は遠野ふるさと村です。この辺りを巡るときの定番に成りますが、ひっつみ山菜定食です。美味しく頂きました。


 午後は今回の巡りの主たる目的地、早池峰山をご神体として祭られる遠野市附馬牛町にある早池峰神社です。この神社も何度も参拝しています。
 縁起などは以下の様に紹介されています。
「大同元年(806)、来内村の猟師藤蔵が山中で十一面観音の尊像に遭遇。感銘して、後に早池峰山山頂に奥宮を建立した。その後、藤蔵は普賢坊と名を変え、現在地には新山宮を建立した。
 斎衡年中(854~857)、慈覚大師が当地に宮寺を建立し、山頂の霊池に因んで妙泉寺と名づけ、新山宮を神宮とした。明治の神仏分離により、早池峰神社と改称した。
 当地(遠野)と早池峰山との間には、前薬師と呼ばれる山があり、直接、早池峰山の全容を見ることはできない。」

 早池峰神社は杉林の中に霊気漲らせてひっそりとしてあります。参拝者は居らずに太陽の恵みの光と心地良い風が私たちだけを迎えてくれました。 




 本殿前で円陣をなしてあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。意味不明の言葉が冒頭に発せられますが、言葉も定かでありません。




「すんたり らるら ふんたる らりるれろらろ はるらる らんつらりられら ゆんてはるらり あるれよ うえおるうらえ あ~ ゆんたり えらるら りろあ?(拍手)
 伝えはここより真っ直ぐ3つ。
 その三番より西に1つ。
 それより北東に1つ。
 定めて頂きたし。大いなるこれよりの力なり。」13:42

 えっ?と皆さん色めき立ちました。この内容は昨日の舞草神社の大部が岩であった以下のお言葉の詳細をお伝えいただいたものです。
「沙汰ありて伝えます。
 これよりの北の地、以前に訪ねたる大きな岩、皆々繋ぎて、この北の地を元へと変えます。
 この光、来る年の2月の初め、必ず5つ選びて響かせ、繋ぎて、結ばれませ。」
 この2ヶ所でのお言葉によると、以前に訪ねたる大きな岩の5ヶ所は、早池峰山から3ヶ所が真っ直ぐに並び、西に1ヶ所、そこから北東の1ヶ所、ということです。

 この条件で候補地の5ヶ所をかなり絞り込むことは可能です。主な巨石が頭の中に浮かんできますが地図で精査する必要があります。先ずは次の目的地の同じ遠野市宮守の呼ばれ石に車を進めます。
 
 呼ばれ石も以前に何度か訪れています。その呼ばれ石の手前にアイスクリームのお店が、あっていつも賞味してお気に入りの、あずきソフトを皆で期待したのですが、残念ながらお休みでした。
 呼ばれ石に付いて以下の表記があります。
「旧釜石街道(遠野街道)396号線を遠野に向かい走り、上宮森の寺沢川を渡る間もなく右側の路方に見えてくる。兎に角でかい。看板には、「遠野遺産第23号」とあり、説明板には、「…昔、近くで作業している者に向かって、麓から家人の昼呼ばり(昼食事を知らせる)する声を真似たり返事をしたりするのはこの巨石の悪戯らしいので、さては狐狸の化身かと鉄砲で一発撃ち込んでからは人の声に呼応する事もなくなったと言う。里人は今でも胴体に鉄砲玉の傷跡があるというこの巨石を「呼ばれ石」と呼んでいる。」と書いてあったが、傷跡は探せなかった。」
 
 交通量の多い国道396号線の脇にありますので岩に向かってあわ歌を響かせましたが、通り行く車はさぞ怪訝な視線を向けていたことでしょう。
 そこでのお言葉です。
「来たる1月23日、夢にまで見た、そこにおわす方の望みのままに、陽だまり外れて元へと帰る。
 それまでの間、しっかりその身を保ち行き、つつがなしに成りなって、過ごしなされ。」
14:38
 これは同行している盛岡のKさんへのお言葉のようです。