2023年8月28日月曜日

3167「がんじがらめの子供達」2023.8.28

 今回はいっぷくからのありがとうさんの2023年08月17日の記事を紹介します。


「がんじがらめの子供達」


今日も木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の子供、小学生の神様、トキ君(山幸彦の魂、日本神界第3位の高位の階層)のお話を基に書きたいと思います。

私のブログでずっと書いてきたことと、同じことを話しています。

下の映像の中で、山幸彦が人間に伝えたいこととして、

子供の育て方について話をしています。 

トキ君はこんなことを言っています。(一部補足)


私たち親は

・勝手に子供の先回りをして

・勝手に心配をして

・勝手に期待して

・勝手に親のエゴを押し付けてきました

きっと、そんな親に子供たちの魂はどんなに悲しんでいることでしょう。

何故なら、地球への誕生をワクワクと目を輝かせて

期待に胸を膨らませて生まれてきた子供たちの人生ストーリーは、

・決して親のエゴやミエのため、

・親の思い通りの人間になるため

の人生とは全然違っているかもしれないからです。

子供たちの魂は、きっとこう言っていることでしょう。

お願いです。

神さまと約束してきた花をここで咲かせてもいいですか?



・子供たちは自分の力で生きていく力を、予め神様から頂いて生まれて来ている

・親が自分のエゴやミエで心配し、先走りし、レールを引いて教えてしまうと、

 自分で考えることができず、計画してきた経験もできず、

 魂の糧にもならい。

 考える力、感じる力が身に付かない

 教えれば教えるほど、これからの長い人生航路を渡っていく力がそがれてしまう

・自分で経験するからこそ、魂の糧となり、教訓を身に着けることができる

・そのために、生まれる前に、その経験を人生に計画してきた

・親は、子供を信じ、子供のやりたいことを、周りで愛を持って見守るだけ

・親は親で自分の人生を笑顔で楽しむこと

・親が自分勝手な考えで子供を誘導しなくとも

 計画してきた時期になれば、子供は気づき、行動を始める時が必ず来る

・親が先回りしてしまうと、それが出来なくなってしまう。弱い魂になってしまう。

では、同じテーマで以前書いた記事を掲載します。

 

東京家庭教育研究所を創設した小林謙策氏(故人)という方の手記があります。

小林さんが、家庭における子どもの教育がいかに大切かを、身にしみて感じたのは 

昭和30年6月、ただ一人の娘に突然、自殺された時からだそうです。

小林さんは長野で中学校の校長をしていました。

人さまの大切な子どもをあずかって、教育しなければならないという立場の者が、

自分の娘の教育さえ満足にできなかったのはなぜか。 

19年間の娘に対する教育のどこが間違っていたのか。

平和で楽しかったはずの家庭に突然襲った悲しみ、苦しみが厳しく、小林さんは自問自答しました。

「私は家庭における子どもの育て方に、大変な間違いを犯しておりました」

と小林さんは言います。

自身が、勝気で負けず嫌いだったので、娘に対しても、小さい時から

「えらくなれ」といって育ててきました。

大きくなると、さらにその上に「人よりえらくなれ」と言いました。

 

「娘は小学校、中学校、高等学校までは、自分の思い通りに伸びていったが、 

東京の大学に行ってからは、そうはいきませんでした。

あらゆる努力をしても、自分よりすぐれているものが幾多あることを知ったとき、 

もはやわが人生はこれまでと、生きる望みを失い、新宿発小田原行の急行電車に

投身自殺をしてしまったのです」

遺された手紙には

「両親の期待に沿うことができなくなりました。

人生を逃避することは卑怯ですが、いまの私にはこれよりほかに道はありません」

と書かれ、さらに、

「お母さん、ほんとうにお世話さまでした。

 いま私はお母さんに一目会いたい。

お母さんの胸に飛びつきたい。

お母さん、さようなら」

と書いてありました。

「それを読んだ妻は気も狂わんばかりに子どもの名前を呼び続け、 

たとえ1時間でもよい、この手で看病してやりたかった、と泣きわめくのでした」

小林さんは言います。

考えてみれば、子どもは順調に成長してゆけば、誰でも「先に進みたい」と思うもの。

這えば立ちたくなり、立てば歩きたくなり、歩けば飛びたくなる。

これが子どもの自然の姿。

子どもは無限の可能性を持って、伸びよう伸びようとしている。

 

「それなのに自分は愚かにも娘に『人よりえらくなれ』といい続けてきた。

『自分の最善をつくしなさい』だけで、娘は十分伸びることができたはず。

私は娘の死によって、家庭教育の重要性を痛感しました」

以後の人生を小林さんは家庭教育の探究と普及に捧げる人生を生きられ、平成元年に亡くなられました。

自分に出来ることでいい、自分の最善をつくせば、それでいい

坂村真民さんという詩人の詩があります。

「小さい花でいいのだ

人に褒められるような大きな美しい花ではなく、

誰からも足をとめて見られなくてもいい

本当の自分自身の花を咲かせたらいいのだ

それを神さま仏さまに見てもらえればいいのだ」 


・勉強しなさい

・あれはダメ、これもダメ

・あれをしなさい、これをしなさい

・貴方にはムりだから止めときなさい

お子さんに、そんな言葉、掛けていませんか? 

産婦人科医の 池川明医師は、子供たちに対する大規模な調査を行い、その1/3もの子供たちが、中間世記憶を持つことが分かりました。 

彼らが 教えてくれた生まれて来た目的とは・・・

ほとんどのお子さんが、こう答えたそうです。

・お母さんを助けるため

・人の役に立つため

・魂を磨くため

そんな優しい心を持って生まれて来てくれた子供たち彼らに、

・詰め込みの教育

・本人の希望や適性を無視した親の引いたレール

・人をけ落としてでも、競争に勝ち抜いて生きろ

は必要でしょうか? 

そんなことを言えるでしょうか?

勉強が出来ない子供は不幸でしょうか?

学校はそれほど大切な所でしょうか?

人と同じでいる必要はあるのでしょうか?

子供たちには一人一人個性があります。

得意分野も異なるでしょう。 

興味や志向も異なることでしょう。

親の一方的な思い。

教師たちの一律的な対応

そんなものは、もしかしたら、この優しい子供たちには糞くらへかもしれないですね。

 

彼らは、

・お母さんを助けるため

・人の役に立つため

・魂を磨くため

この世に生まれてきました。

姿かたちが子供だからと言って、魂までも子供ではありません。 

私達大人たちよりもはるかに、愛に溢れた存在かもしれません。

お母さんを助けるために生まれてきました。

決して、お父さんや、お母さんの思い通りに生きるために生まれて来たわけではありません。

それでも、子供を自分の思い通りにしたいと思う親御さん。

お子様の心や体がボロボロになって、自分の元に戻って来た時、きっと気付きます。

生きていてくれてるだけで良かった。 

そのままで愛しているよ。 

私の元に生まれて来てくれてありがとうって・・・

子供が、美しい「スミレの花」を咲かせようと、この世に生まれて来たのに、

華やかな「バラの花」になれと、無理強いはしていませんか? 

子供の心を、生きながら殺してはいませんか?