2016年11月20日日曜日

763「陸奥三陸5」2016,11,20

 10月8日朝6時半に仙台駅に集合して、999ナンバーの3台の車に分乗して一路、盛岡駅に生憎の雨の中を向かいます。今回の「陸奥三陸鎮めの巡り」は仙台から13名ですが、盛岡から参加のKさんをピックアップして総勢14名の大勢です。
 車は盛岡から太平洋側に曲がり国道106号線を東進して三陸海岸の陸中宮古市田老町にある三王岩が最初の目的地です。

 始めに地名の陸奥(むつ)と三陸(さんりく)に付いて説明を少しします。ウイキぺディアによると以下のようです。
「明治元年12月7日(1869年1月19日)、奥羽越列藩同盟諸藩に対する戊辰戦争の戦後処理が行われた際に陸奥国と出羽国は分割され、陸奥国(むつ)は陸奥国(りくおう)・陸中国(りくちゅう)・陸前国(りくぜん)・岩代国・磐城国に5分割された。このとき生まれた、令制国名に「陸」がついている陸前・陸中・陸奥の3国を「三陸」(または陸州)と総称するようになった。しかし「三陸」は、明治中期まで行政地名として使われるのみで一般にはほとんど知られておらず、明治29年(1896年)の明治三陸地震の報道によって一般に広まった。
 令制国の単位での「三陸」の範囲は以下の通り。青森県全域、岩手県全域、宮城県の亘理郡・伊具郡・刈田郡・角田市・白石市を除いた地域。秋田県鹿角郡小坂町および鹿角市。
 しかしながら前記の経緯のために、「三陸」の名称は陸奥・陸中・陸前の3国全域を指すことよりも、三陸海岸地域を指すことの方がほとんどである。」

 今回は陸奥国の三陸の陸中、陸前を中心に巡りますが中山さんも初めてのところがほとんどです。途中、いつもの前沢SAで休憩して、盛岡駅で9時前頃にKさんをピックアップして進みます。区界峠を過ぎて下りですが途中の閉伊川は台風の爪あとが各所に見えます。



 106号線を宮古に向かう途中で面白いことに気づきました。今日の訪問先をカーナビに設定していたのですが、ナビに現われた画面の道路図が昨日のあわ歌会の時に私が拝受して下ろされた絵の図に似ているのです。この巡りの状態を俯瞰して、設定地の選定に間違いが無いことを示しているようです。


 宮古市内を過ぎて国道45号線を北上して田老町に入りました。町は先の311東日本大震災で壊滅的被害を受けて堤防工事、市街地造成工事がなされ復興まではまだまだの様子です。
 三王岩に到着して車を降りて、直ぐの展望所につきました。この地はかなりきついエネルギーが満ち満ちていて、津波などで亡くなられた多くの方々の御霊が未だに浮かばれていないのかもしれません。

 三王岩の雄姿を見て中山さんがここは一人でされると言います。それと同時に12時サイレントが鳴り渡りました。この時間に全てがセットされていた様です。今回の巡りも大きな導きによるものと確心しました。
 私たちが前に立って中山さんが後ろから歌を響かせました。その響きは5分で終了しましたが、最後に以下のお言葉がありました。
「遥かに望むこの海は、逆巻く、多くを沈め来たり。
 さてこれより参る大きなる、鎮め行く。
より八方へ飛ばされよ。」12:05


 三王岩に付いては以下の様な記載があります。
「三陸復興国立公園にある数多い奇岩景観の中にあって最も圧巻で、高さ50メートルの通称、男岩の両側に女岩、太鼓岩が寄り添い、真下に立つとまさに圧倒されんばかりの壮観さがあります。1億年もの歳月をかけて、寄せ返す波と海原を吹き渡る風が形作った美しい自然の芸術品です。
 砂岩とれき岩が水平なしま模様の岩肌には、はるか昔、白亜紀の記憶が封印されているかのようです。
 三王岩は白亜紀(1億年頃前頃)の海に堆積してできた砂岩や礫岩(宮古層群)から構成されています。
 宮古層群が堆積する前の、北上山地の骨格を作った火山活動の痕跡で、激動の時代から穏やかな海への変化を見ることができます。」

 男岩には海触洞があり、そこをくぐり抜けると幸運が訪れるといわれている、ようです。

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