2017年7月30日日曜日

1016「鞍馬・三河18」2017,7,30

 昼食は新城市の鳳来寺山(ほうらいじ)の麓にあるお店です。こんにゃくと椎茸のフライと御蕎麦まで付いた定食ですが、しいたけの写真を撮り忘れて食べてしまいました。美味しかったです。

 お店はかつての鳳来寺への表参道に面してありますが、こちらから徒歩で参拝すると階段を1425段登ることに成り、有に1時間は掛かるのです。パークウェイを利用して山頂駐車場へ向かいます。鳳来寺へは駐車場から10分程で東照宮を過ぎ、その先5分歩程で行く事が出来ます。

 鳳来寺山に付いて以下の様に紹介されています。
「標高695m、1,400万年前の火山の名残で流紋岩などでできています。
 鳳来寺山表参道の石段を登り、仁王門を過ぎた辺りで傘杉が見られます。推定樹齢800年、樹高は60m近くにもなり、天に向かって伸びる姿はまさに圧巻です。幹の上方で枝が四方に広がり、傘を差したように見えることから傘杉と呼ばれています。新日本名木百選にも選ばれた傘杉は、品種も貴重であり、姿や品質においても最高級とされています。
石段は1,425段あります。」

 前方に鳳来寺本堂が見え、その奥には鏡岩の巨岩も見えます。程なく東照宮に着きます。この創建の由来は以下の様にあります。
「鳳来山東照宮は、愛知県新城市の鳳来寺山に鎮座する神社である。正式名称は「東照宮」。日光・久能山と並ぶ三大東照宮の1社を称している。
 徳川家康(東照大権現)を主祭神に、「鎮守三社」と称される山王権現、熊野権現、白山権現を合祀している
 慶安元年(1648年)4月、日光東照宮へ参拝した折に改めて『東照社縁起』を読み、徳川家康の出生と三河国設楽郡の鳳来寺との縁に感銘を受けた江戸幕府3代将軍家光が、鳳来寺の本堂修復と薬師堂の再建を発願、それにあわせて新たに東照宮の創祀を計画し、阿部忠秋や太田資宗に命じて造営事業を進めたが、志半ばで薨じたため、跡を継いだ4代将軍家綱が太田資宗や本多利長、小笠原忠知等に命じて慶安4年(1651年)に社殿が竣成、同年9月17日に江戸城内の紅葉山御殿に祭られていた「御宮殿」(厨子)と神体である「御神像」(神像)を遷祀したのが創まりである。」

 東照宮には三つ葉葵の御紋があります。Tさんに葵を正すとありましたが早々に葵に対面です。参拝して更に進むと鳳来寺です。沢山の参拝者です。展望所からの景色は素晴らしいものです。



 鳳来寺に付いては以下の様に紹介されています。
「鳳来寺は、愛知県新城市の鳳来寺山の山頂付近にある真言宗五智教団の寺院。本尊は開山の利修作とされる薬師如来。
 参道の石段の数が1,425段あり、徳川家光によって建てられた仁王門は国の重要文化財である。また、愛知県の県鳥であるコノハズク(仏法僧)の寺としても有名である。
 寺伝では大宝2年(702年)に利修仙人が開山したと伝える。利修は霊木の杉から本尊・薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将、四天王を彫刻したとも伝わる。文武天皇の病気平癒祈願を再三命じられて拒みきれず、鳳凰に乗って参内したという伝承があり、鳳来寺という寺名及び山名の由来となっている。利修の17日間の加持祈祷が功を奏したか、天皇は快癒。この功によって伽藍が建立されたという。」





 ここでは参拝のみでお言葉も無く終わりました。その後は豊橋駅に戻り、反省会を1時間程楽しんで帰路に就きました。新幹線も指定席を取っていたのですが、自由席ががらがらでしたので、そちらに移動して皆さんと一緒に座れてラッキーでした。東京駅まで歓談して、楽しき時間はあっという間です。途中、車窓から富士山が綺麗に見ることが出来ましたが、ご褒美でしょうか。






いつもながらの濃厚なあわ歌の巡りを満喫出来ました。有形無形の諸々の方々の御配剤、ご支援、御加護に感謝です。

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