2017年4月17日に那須のうるうの宮でのお言葉。
「これより申すは、この地の底を流れ行く。大きなるよりの伝えなり。
皆々様の響きにて、滞りを流し行きて参りたり。今一歩なり。
この流れ水と共々、大きなる気と共々一つと成り行く。
この流れ激しきとなれば地上に現わるる。その時は大いなる新たへの道、開きます。
この国の三五八に現れ出でる時来たる。これよりも大いなる響きをお頼み申す。」
この石巻山は大きな新たな道開きに大事なところです。石巻山のことに付いては以下の様な表記があります。
「愛知県豊橋市の東北に位置する石巻山(標高:358m)はピラミッドのような三角形状をした山である。古代、石巻山の山頂には磐座の所に祠があったが、災害で倒壊したため、現在、別の場所に山上石巻神社が磐座として祀られている。
石巻山には蛇穴、天狗岩、鏡岩、方位石があり、蛇神信仰や山岳信仰の活動の形跡が残っている。石巻山は山自体が御神体であり、縄文時代から神が宿る磐座でもあり、人が祈る祭祀場であり、古代人にとって活動の中心をなすものであった。まさに石巻山は酒井勝軍氏の唱えた「日本のピラミッド」の条件を満たした山である。
豊橋市市内は寺社仏閣が異常に数が多い。石巻山と市内の寺社の配置関係は神郷の石巻神社を始め東頭神社、浪ノ上稲荷社など40以上の寺社・仏閣が山を遙拝するように取り囲んで建っている。その中の多くは境内に石巻山遙拝石(メンヒル)を設けている。また古墳や遺跡、名所、旧跡が多く、古墳だけでも1000以上もある。文献・地方史・風土記に記載された伝承・言い伝えも多い。この地域の地名や姓には神に関係するものが多いことも特徴である。
石巻山は東方の三神山の一つと考えられ、この地では神の山(ミワヤマ)と呼ばれていた。古代から石巻山は「神の山」であり、その里は「神の郷」で、神の住む場所であった。また奈良県桜井市にある三輪山も縄文時代又は弥生時代から、自然物崇拝をする原始信仰の対象であった。石巻山と三輪山の二つの「神の山」を直線で結んだ線上に浪ノ上稲荷社(牛川稲荷社・愛知県豊橋市牛川町)は建っている。浪ノ上稲荷社は石巻山を取り囲む寺社の一つでもあり、境内には20基もの立石が立っている。ここは石巻山と三輪山から力を得られるパワースポットといわれている。」
石巻山へ車はクネクネ道を登って行きます。石巻神社の鳥居の近くまで車で行き、参道を少し登って社殿です。神社参拝して、石巻山の頂上にイワクラを目指します。
以下は石巻神社の紹介です。
「御祭神は大己貴命で創建時期は不明。孝安天皇または推古天皇の時代の創建ともいわれている。元々は石巻山自体が信仰の対象と推測される。
豊橋市内唯一の式内社です。神社は石巻山の麓に本社(下社)が、中腹に山上社(上社)があり、山上社では旧暦1月14日深夜から15日明け方にかけて幻想的な管粥祭が、本社では4月中旬に鬼祭が賑やかに開催されます。」
私は少し遅れて社殿に着くと、中山さんは山頂に行かずにここの神社で良さそうだ、と言われます。山登りの準備をしていた皆さんは拍子抜けですが、往復40分の山行きが無いのはありがたいことです。直ぐに皆さんであわ歌を響かせましたが、始めに中山さんのお言葉があり、以下の様なお言葉を頂きました。
「大賀 泰平、大いなるこれよりの初めをいたす。
大 大 大 ゆう ゆう ゆう ふる ふる ふる
合いま見え、共々にひとつと成すは、
この地の真の思い。
これよりの響きを八方へ伝えませ。
あわ歌唱和
移り来たりたり。この身へ移り来たり。
スンダルラ
只今より、この場の方々へと伝えます。
どうぞ八方へ拡げゆかれませ。
(柏手 向き直り)
さー、うあ~ うあ うあ うあ うあ~ あ~・・
(拍手)
いざや参る。踏み行く道は広きなり。
囚われず、拘らず、差別無し。
それぞれの身の思いのまま、発して、嬉しきへ。」11:14
にこやかに皆さんで集合写真です。
神社の駐車場辺りから三河が一望できます。正面には午後に行く本宮山も見えます。