2017年7月10日月曜日

996「10周年12」2017,7,10

 大和ITから高速道路を南下して仙台南ITで降ります。直ぐ近くにある茂庭荘の中の「鍾景閣」が昼食会場です。この建物は伊達家の邸宅だったものを移築保存して料亭になっています。

 今年は伊達政宗の生誕450年にあたるという事で、各所で記念行事が行なわれていますが、私達にも伊達様の繁栄をこの先頂けることを願って豪華昼食を頂きました。屋敷の事に付いては以下の様にあります。

「旧伊達伯爵邸鍾景閣(しょうけいかく)は、明治時代後期、仙台市一本杉に建造された住宅建築です。江戸時代は大名であった伊達伯爵家の邸宅として創建され、戦後まで屋敷として使用されました。
 伊達家は藩祖政宗以降13代にわたり仙台藩主としての地位にあった家系で、明治維新後の版籍奉還(土地と人民を朝廷に返すこと)によって華族の身分となり、明治17年伯爵の位を授けられました。
 大名であった江戸時代は仙台城が住まいでしたが、明治になって一本杉にあった家臣佐々氏の下屋敷を買収して邸宅とし、14代当主伊達宗基氏の時代に、後に15代当主となった伊達邦宗氏が建て直しました。それがこの屋敷です。
 昭和22年、昭和天皇が東北巡幸のおりの御泊所となり、また平成9年、天皇・皇后両陛下が、第四十八回全国植樹祭に行幸啓されたみぎりの御休息御座所ともなりました、この旧伊達伯爵邸『鍾景閣』。市民の貴重な財産として、皆様より末長くご利用いただけるよう、明治後期の和風建築そのままに、自然息づく茂庭の地に、復元されたものです。」

 11時半からの予約で少し早めに入り、内部を見学したりして水無月膳を頂きました。優雅な雰囲気の中に料理も美味しくて大満足です。









 午後の最初の目的地は太白区長町南にある「地底の森ミュージアム」です。車で直ぐですが、皆さん満腹で睡魔に襲われています。
 しゃれた景観の建物で、受付を済ませて中に入ると展示場は真っ暗で、映画が上映されていました。大きな玉子形の通路があり、地面には木の根が張り出して広がっています。ガイドの方が付いてくださり親切に説明して下さいました。概要は以下の様にあります。

「地底の森ミュージアムは旧石器時代を中心としたテーマミュージアムです。ここでは富沢遺跡から発掘された2万年前の旧石器時代の遺跡面を現地で保存し公開するとともに、発見された資料などから当時の環境と人間の活動を生き生きとよみがえらせる展示をしています。」
「富沢遺跡では昭和62・63年(1987・1988)に小学校建設のための事前調査が行われました。遺跡内では30回目の調査だったので「富沢遺跡第30次調査」と呼んでいます。上から順に近世・中世・平安時代・古墳時代・弥生時代の水田跡、植物の根や茎がよく残っている土(泥炭層)、その下からは縄文時代の穴や倒木の跡が見つかりました。さらに2m下(現在の地面から約5m下)からは、約2万年前の旧石器時代に生きた人達の活動跡と森林跡が一緒に見つかりました。
 このことは世界的にも貴重な発見だったので、遺跡を発掘されたままの状態で保存・公開するために、建設を予定していた小学校を別の場所へ移し、地底の森ミュージアムを建てることになりました。その後、平成8年(1996)11月2日に開館しました。」

「地下5mにもおよぶ富沢遺跡の地層断面をそのままはぎ取ったものを展示しています。
 2万年前の旧石器時代の地層は標高7mあたりにあります。 そこから2m上には縄文時代の地層があり、さらに泥炭層をはさんで上には弥生時代から現代までの水田の地層が重なっています。 そして現在の地面は昭和50年代に行われた区画整理の時に盛った土の上になります。」

 狩に来た人達が焚き火をして、やじりを交換した跡がそのまま残っています。何故、この様に土の中に保存されたのか説明ありましたが、よく理解出来ませんでした。この様な遺跡は世界でも稀なようです。木内さんも興味深くご覧になっていました。