2011年の311東日本大震災でテンメイの東松島農場は津波で跡形もなく流されてしまいました。東松島農場はテンメイ会員の所有地で頼まれて、かれこれ3年ほど通って作付けしていました。
砂地の畑で水の確保が難しくいろいろ工夫しながら使わせていただいたのですが、自然の威力は驚きです。近隣の家屋、畑にあった巨木、集落が全く消えてしまいました。震災から暫くして見に行きましたが、携帯電話のアンテナ塔だけがその場所を標していますが、土地の所在地、境界も全て無しです。
幸いにした名取農場の被害はありませんでしたが、山手の農場が必要と思い、新たに探し始めることにしました。
その頃に、やはり会員の方から、農場の提供も申し出でを頂いたのです。その方には以前から自分の畑を使って欲しいと言われていたのですが、当時は2箇所の農場で手一杯でお断りしていました。これはラッキーと今度は現地をO農場長達と見学に行き、土地を見せて頂き、御話しをお聞きしました。
そこは舟形山の麓に広がる田畑の中、吉田川支流近くの素晴らしい土地でした。大家さんのGさんは当時75歳を越える女性ですが、ある種の霊的能力を御持ちの方で、20年前に霊感を頂いて農業を始める事になったのです。仙台から移るに適地を探し求めてこの地を選び出され、全く農業を知らずに始められたのでした。
探し当てるに当たっては、ある方の助言があり、その方に色々相談して、霊的な検証もされたようです。その方とは、私が若い頃、東京吉祥寺にヨガや超常現象の学びに伺っていた国際宗教超真理学会(IARP)会長の本山博先生だったのです。その事をお聞きしてこの様な繋がりがあることは驚きでした。
この地は、蝦夷の栄えた地で、先に訪れた石神山精神社では大和朝廷による殺戮がなされたようですが、この地はその事を聞きつけて逃げて難を受けずに済んだとか。その当時の長がどうやらGさんであったようです。本山先生は大和朝廷側の存在で、この地には足を踏み入れる事が出来ないのですが、先生が宮司をしている玉光神社の信者さんや、IARPの会員の方々が石神山精神社に毎年、慰霊の参拝を欠かさずにされていました。
お借りする土地は綺麗な勾玉の形をしています。その西側に沢があり、小川が流れていますが、そこにお不動様がお祀りされているのです。このお不動様はGさんが入植する前からあった様ですが、聖地として大切にされていたのでしょう。そこに参拝するにはGさんの畑を通らないと行けませんので、常に清浄に保つ事を励行されてきたのでしょう。
霊的な繋がりの中、この地を大切に守り20年が過ぎています。やがてこの地をどなたかに守り続けて欲しいとの願いがあります。是まで、何人もお手伝いする方が現われて一緒に農作業をされたようですが、残念ながら続かず全て去って行かれたようです。
そんな時にGさんが天命塾のセミナー等に参加してご、私達の活動を見聞きし、ある意味で白羽の矢が当たったのでしょう。
又この土地を耕していると沢山の貴重な土器等が見つかるようで、そのお宝を見せていただきました。今は昔、6年前の事ごとです。
1年ほど皆さんで通い、楽しき農作業をしていたのですが、休憩所の小屋が欲しいという事で、当初、Gさんが提供してくれるような話もあったのですが、我々が許可を頂いて6畳の広さの小屋を建築しました。まほろば舎です。その小屋の完成を見た時に、農場の入り口の住宅が入手出来ることに成ったのです。何と言う神計らいだろう、と驚きの内に大和亭が私達の活動拠点になったのです。
それから今に至りますが、この大和農場では色々な講師の方々により、多方面に紐解きを頂いて来ました。あわ歌の中山博さんに見出された、白石の巨石を掘り出し1000日の間、大切にお祭りしたり、色々な儀式を通してこの地を活かし、活用させて来ています。
又、お陰様で私達の身近で一緒にアクティブに活動していたTさんが、善きご縁があってGさんのご長男に縁することになりました。これもまた大きな神仕組みかとも思います。
語れば色々ありますがそんな大和農場を皆さんで視察しました。
しゃくやくの花が咲き、麦が実り、心地良き自然のエネルギーを感じながら見学して頂きました。お不動様にもお参りし、最後に大和亭で寛いで頂きました。
大和亭の玄関には、藁で作られた鶴と亀、そして金色の玉の旗が迎えてくれますが、大和亭の花押です。木内さんと暫く歓談です。
農場を出て次は少し早めの昼食会場へ向かいますが、大和町の街中を進んでいると目の前に9999のナンバーの車が居ます。これはラッキーと想い車を進めました。