2019年12月12日木曜日

1883「真向法全国大会5」2019.12.12

 いよいよ乗船です。後部2階のデッキ席を占めて、しめしめです。竹生島を後ろにして離れる船から島の全景を堪能できます。
 暖かい日差しを全身に浴び、航路の後に出来る波紋と島、そして青空、雲の描く点描、遠い本土の山々、それらのコントラストは素晴らしい世界です。島が見えなくなるまで船上で琵琶湖を満喫しました。









 竹生島に関する伝承を紹介します。
「多多美比古命(伊吹山の神)が、姪で浅井岳(現在の金糞岳)の神である浅井姫命と高さを競い、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を切り落とした。その首が琵琶湖に落ちて竹生島が生まれたという。金糞岳(標高1,317m)は滋賀県2位の高峰で、最高峰の伊吹山(標高1,377m)は、竹生島の高さを差し引くと本当は2番目だったというわけである。竹生島神社には浅井姫命も祀られている。 

 坂上田村麻呂伝説のうち坂上田村麻呂の東征譚をモチーフにした御伽草子『田村草子』では、琵琶湖の竹生島の弁財天は田村丸と契りを結んだ鈴鹿御前の化身とされる。御伽草子『鈴鹿草子』でも鈴鹿御前は竹生島弁財天として再誕している。 

 中世には竹生島は西日本の地震に関する聖地とされていた。『渓嵐拾葉集』によれば、竹生島は大地の最も深い場所である金輪際から生え出た金剛宝石の柱であり、仏陀が正覚した時に座していた金剛座である。故に、この地の本来の地主権現は釈迦如来である、としている。また、島には弁の岩屋と呼ばれる龍穴があり、そこから現れる竹生明神という魚龍(大鯰)が島を7巡りするようにとぐろを巻き、尾をくわえて島を鎮めているという。 
 中世には水晶輪の島とされ『平家物語』や『源平盛衰記』などに登場する。『渓嵐拾葉集』では、船で近寄ると「りゃんりゃんと響く」島とされている。」 

 さて無事に下船し長浜駅から仙台に戻りました。車中、観光船の中で見つけたパンフレットを読みましたが、琵琶湖は古の支配者にとって魅力的な地であったようです。 
「織田信長と琵琶湖」、「明智光秀と琵琶湖」、そして「琵琶湖を見つめた戦国の女性達」です。来年のNHKの大河ドラマは明智光秀がテーマのようで、滋賀県が舞台です。現在、放映されているNHK朝ドラの「スカーレット」も信楽焼きがテーマで滋賀県です。真向法全国大会で祝辞を頂いた滋賀県副知事様からもこの事が話題に出ました。滋賀県は琵琶湖以外にも多くの観光名所があり京都、奈良を含めて周遊コースになっています。

 少し脇道にそれて琵琶湖を少し探ってみました。一般的には以下のように記されています。
「琵琶湖は滋賀県の日本最大の湖です。縄文時代の丸木舟も発掘されており、古代から海上交通路として利用されていたようです。
 10万年とも言われる琵琶湖の歴史の中で、生物たちは独自の固有種が多様に確認されています。119本の周辺の河川が流れ込んでいることからも、人間を含めた生き物たちにとって大切な水のハブと言えます。
 かつての発掘調査で、海底に神社跡が発見されました。そこから、1185年に発生した津波の被害が確認されています。」

「琵琶湖が形成された時期は、約400万年~600万年前で、現在の三重県伊賀市平田に地殻変動によってできた構造湖であった(大山田湖)。湖は次第に北へ移動し、現在から約100 - 40万年前、比良山系によって止められる形で現在の琵琶湖の位置に至ったという。大山田湖以前、現在の琵琶湖の位置には山(古琵琶湖山脈)があり、鈴鹿山脈は未だ隆起せず、今日の琵琶湖東南部の河川は伊勢湾へ流れていた。それを裏付けるように、鈴鹿山脈の主要な地質は礫岩である。また、琵琶湖に流入する最大の川で、東南に位置する野洲川は、当時西方ではなく、東方へ流れていたという。なお、琵琶湖は世界の湖の中でも、バイカル湖やタンガニーカ湖に次いで成立が古い古代湖であると考えられている。 
 西岸には、琵琶湖西岸断層帯が東北-南西方向に延び、断層帯北部の最新活動時期は約2800年前から約2400年前頃とされ、活動時には断層の西側が東側に対して相対的に2mから5m程度隆起した可能性がある。断層帯南部の最新活動時期は1185年(元暦2年)の文治地震であった可能性があり、活動時には断層の西側が東側に対して相対的に6mから8m程度隆起した可能性があるとされている。地震に伴う地すべりなどで水没した琵琶湖湖底遺跡が100以上存在する。」

 上記の一般論とは離れて、琵琶湖の地形は淡路島に良く似ています。地球のその造形活動に興味がわきます。