宮ぷーの講演会が終わっていよいよ、かっこちゃんの講演会です
「仙台に来る飛行機で、宮ぷーの顔を見ていて涙が止まりませんでした。大変だった宮ぷーがこうして仙台に来れたこと、そういう日が来たこと、がとても嬉しいです。
私は特別支援学校の教員を30年以上していました。その当時は、脳障害の子供は治らないと思われていた時期です。赴任して最初の時に、きいちゃんと言う無脳症の子供に出会いました。見えない、聞こえない、全く分からない子でした。大脳は無いのですが脳幹はあって、生まれて10年間はベットで寝ていたのです。会った時、とても可愛くて、歌を歌って、身体をゆすって大好きと言っていました。そうしたら暫くして、きいちゃんは笑い、泣くようになりました。何故、言葉の意味が分かるのか分かりませんでした。こちょこちょとくすぐったら笑ったのです。しかし、ドクターはそれは単なる反射だと言っていましたが、私は違うと思いました。
全ての子供達は深い思いを持っていて、解決する力があると思いました。生まれた時から分かっていて、ひとつに繋がっていると思いました。他の人が言っても理解してもらえなかったのですが、方法はあります。
脳幹を活発にすることです。抱きしめて、ゆすって、大好き、大好きをするのです。しかし、社会の中では広まりませんでした。そんな時に、宮ぷーが脳幹出血で倒れたのです。この病気で普通は9割の方が亡くなり、生きていても意識は戻る事は無い、植物状態です。
しかし私は、回復する方法を選ぶこと、生きることを選ばせました。2016年1月にリハビリで脳幹の赤核が復活すると言うニュースが出ましたが、当時は難しいと言われていたのです。
倒れて3日目、集中治療室で明日が山場と言われ、助かっても植物状態だとベットの所でドクターに言われました。ドクターが話したこの事を、宮ぷーは聞いていると思いました。ドクターがそう言っても、その場で私は大丈夫と言いました。「安心してください、大丈夫です。」と言ったのです。しかし、それを聞いたドクターからは、「私がショックで頭がおかしくなった」、と言われました。
その当時の状況を「僕の後ろに道ができる」の映画の予告編を流しますので観てください。
6ヶ月間、身体が動きませんでした。一般常識では回復は無理です。しかし、そんなことは無いと、いつまでも回復し続けると思ってやりました。そしてレッツチャットの為のリハビリを続けました。
やがて宮ぷーがレッツチャットを使える様になりました。そして次の言葉をくれました。
「いつも幸せは私の手にある」
「何にも無いことが幸せ」
寝たきりの人の介護は大変です。起こしたり、寝かしたりするのに、私の様に力の無い人でも出来る介護法を考えて、出来る方法を考案しました。そして2年前に退院して1人暮らしを始めました。心配された肺炎にもならずに暮らしが出来ています。生きていける方法があると信じています。
障害で意識を伝えることを諦めている人に可能性を伝える為に、白雪姫プロジェクトをスタートしました。伝えることが出来る方法を知っていることと、知らないことは大きな違いがあります。大多数の方は仕方が無いと言います。でもどうしたら良いのかを考えました。その事はまだ常識に成っていないこと、未常識です。しかし皆が知って幸せになって欲しいです。そして一緒にひとつ命を生きることを願っています。