2016年9月29日木曜日

711「黒石5」2016,9,29

 12時半の昼食予定の時間丁度に一関市にある「世嬉の一」酒造の、「蔵元レストランせきのいち」に到着しました。ここは生体エネルギー技術を導入していて日本酒だけでなく、地ビールのいわて蔵ビールでは世界でも高い評価をいただいていて、毎年数々の賞を受けています。
 私がかつてこよなく酒を楽しんだ頃は、ここの蔵ビールを将に浴びるように頂いていましたが、今は昔です。20年前に私が生体エネルギーに出会った頃には既にこの酒蔵は実践しており、数々の実績を上げていて何度も視察や会食に訪れていました。先の東日本大震災では大きな被害を受けたのですが再建されて、多くのお客さんで賑わっていました。嬉しきことです。 
 レストランやカフェ、博物館、売店など色々な建物がありますが、私たちは大正ロマンが漂うカフェ徳蔵で豪華なランチを頂きました。




 円卓を囲み、郷土料理の餅とはっと汁の「手延べはっと・餅膳」を頂きました。まだまだミッションがありますので蔵ビールはお預けです。




 料理には、特別に用意してくださった果宝餅のあんこ餅の椀があります。その中に萩の木の小枝が1つだけ入れてあり、それを引き当てた方には福が来る、とのことです。それを引き当てた方には幸運のプレゼントを頂けるとの事です。楽しみに皆さんで頂きました。果たして幸運の女神が微笑んだラッキーボーイは、何と私でした。1合瓶のお酒を頂きましたが、嬉しきことです。
「世嬉の一」http://sekinoichi.co.jp/

 お腹も満たされて午後の目的地は一関市舞川にある観音山の山頂付近に鎮座する舞草(まいくさ、又は、もぐさ)神社です。ここの謂れ等は以下です。
「舞草神社は、式内社・儛草神社に比定されている古社で、718年に菊理姫命を祭神としたのが始まりの由緒ある神社です。坂上田村麻呂が必勝祈願の為、大同2年(807年)に観音を安置し、創建したとも言われています。舞草山すなわち白山嶽の山腹に鎮座し、もとは山頂に社地があつたという。
 この山には処々金屑があり、刀工三條宗近の鍛刀跡といはれている。ここに「日本刀の祖舞草刀」と称される刀を鍛える技術が盛んになったのは、この地が良質の鉄鉱石を産出したからであろう。全国の刀工の祖神としての崇敬も篤い。」
 祭神が菊理姫命で菊理(くくり)です。何とも99にリンクします。


 舞草鍛冶については以下の表記があります。
「この舞草の地は平安時代より刀鍛冶が集団で住まいした所と伝えられ、舞草刀は日本刀が直刀から湾刀へと移り変わる時期の初めの頃とされています。
 刀剣に関する代表的な古伝書に鎌倉時代に書かれた観智院本銘尽がありますが、この中でも舞草鍛冶の刀工が数多く記述されており、その場所は、ここから直線距離で北西約700mの白山岳周辺にあったと伝えられております。舞草鍛冶は往時の陸奥国にあって武器づくりの集団として欠くことのできない存在でした。」-東参道入口案内板

 蝦夷たちはこの湾刀を既に使用していたようで、その強さの秘訣だったようです。この刀により武士の戦いを変える画期的な変化をもたらした地です。
 県道から狭い道を登り神社に着きました。実は下見に3度来て、ようやくたどり着いたいわくつきの処です。神社の参拝もそこそこに、更に道を西の奥の方に行き、電波塔のある行き止まりまで進みます。
 そこには大部ヶ岩があります。車を降りて少し道を下ると急に眺望が開けて別世界が現れます。巨石がそそり立ち、絶壁の下には北上川が丁度蛇行して、そこを東北新幹線の線路、鉄橋が見えます。実り豊かな田園、そして北上山脈が綺麗に見渡せます。




 暫し、陸奥の素晴らしさに感動し、その岩の上で西の空に向かいあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。  
「来たる時を、見事に乗り越え、遥かなるへと参る身は、
 それぞれ大きく揺らがぬ事なり。
 日は迫り来る。これよりの60数日にて知る事となります。
 この大きなる見事なる地、よくよく見定めおかれませ。」14:14


 是より60数日とは11月上旬のことです。果たして如何知ることと成るのかです。
 そして実は、この舞草神社は午前に訪れた、桜松神社と瀧乃沢神社と一直線に並んでいます。ここから東に弧を描くように次の目的地の立石神社に向かいます。