「塵点の 劫をし 過ぎて いましこの 妙のみ法に あひまつ りしを」
「塵点(じんてん)の劫(こう)」とは以下のようです。
「塵点の久遠劫、塵や砂のように数のいちじるいく多いことにたとえた表現で、常識を絶するような長い時間をいう。
仏教では、横と縦がそれぞれ40里、高さが40里の大きな石を、天女がその天の羽衣で3年に一度ずつ拭いて、その結果その大きな石が摩滅して全くなくなる、そのぐらい長い時間が劫である。」
それほどの長い時間を過ぎて、今、この妙法蓮華経に出会えた、という限りない喜びを記したものようです。如何に賢治は妙法蓮華経に深く信心していたのか、創作活動の根本にこの精神があるようです。
1ページ目に以下の文字があります。
當 知 是 處
即 是 道 場
諸 佛 於 此
得 三 菩 提
そして3ページは以下の文字です。
諸 佛 於 此
轉 於 法 輪
諸 佛 於 此
而 般 涅 槃
これは「道場観」といわれるもののようです。その意味するところは以下です。
「まさに知るべし、このところは、すなわちこれ道場なり。
諸仏ここにおいて、三菩提を得、
諸仏ここにおいて、法輪を転じ、
諸仏ここにおいて、般涅槃したまう」
今、私のいるこの場所(地上のすべての場所)において、過去、諸仏が悟りを開き、法を説き、涅槃に入られた道場にほかならない。
この文は、妙法蓮華経の如来神力品(にょらいじんりきぽん)第21にある経文である。「當(まさ)に知るべし 是(こ)の処は即ち 是(これ)道場なり
諸仏 此(ここ)に於(お)いて阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(え)諸仏 此に於いて法輪を転じ 諸仏 此に於いて般涅槃(はつねはん)したもう」
国土のあらゆる処、街中まちなかであれ、林であれ、山深き処であっても、塔を建てて供養を行いなさい。」
と言うことで賢治は、この道場観を手帳の冒頭に記し、その気持ちが日々の活動の哲学だったと伺い知ることが出来ます。
28と数字が記されたページには
「快楽も ほしからず 名もほしからず
いまはただ 下賎の廃躯を
法華経に 捧げ奉りて 奉」
次のページには
「一塵をも 点じ 許されては 父母の下僕となりて
その億千の 恩にも酬へ得ん
病苦必死のねがひ この外になし」
「雨ニモマケズ」の少し前の部分にある詩ですが、何とも言えぬ強い言葉で、快楽も名誉も拒否し、自戒と共に、己が生を如何に生きて行くのか、病躯にあって法華経に対する宗教的な情熱、父母への報恩の思い、信条、心情が読み取れます。