2016年9月22日木曜日

704「覚醒5」2016,9,22

 諏訪の蛇体は中央構造線、つまり日本龍体列島の背骨を司るラインを意味します。私、「諏訪の蛇体」が日本国民統合の象徴の天皇陛下に謁見に皇居に参ったのです。今回は緊急事態で、喫緊の事情がそうさせたのでしょう。
 中央構造線上で縄文の本拠地が諏訪です。弥生の稲作が西から来て諏訪の前で止まり、諏訪から関東に入らずに拒絶していました。やがて東北から関東に入ってきました。その辺りでは黒曜石が取れるのですが、そのやじりが見つかっていて、茅野、和田峠で取れるものは上質なものです。

 わたしの名前のアナグラムのもうひとつで、SANIWA JATOU、「審神の蛇頭」があったのを発見しました。「サニワの蛇の頂点」の意味が隠されていたのです。7月13日の出来事があって初めて浮かんだアナグラムです。
 そこには皇室制度を破壊させるとか、天皇制をやめさせるとか、という左翼的、唯物的意向はありません。私は天皇への非常に深い尊敬、崇敬の意識があります。天皇を元の天皇に戻したい。明治以降のものから、本来の純粋なシャーマンに戻したい。その役割をさせてください、という思いです。天皇もそう思っていると思います。だから私程の愛国者は居ないと思います。
 日本全国で、安倍さんが推進する憲法改正に反対する数十万人デモなどを起こしても、選挙で自民が大勝してしまう、野党がダメだからという反知性主義が跋扈する社会です。そこでは本当に知性を持つ人たちも軒並み駆逐されてしまいます。それが今の日本の現状です。その状況で国民に時代の変革を説くことなど不可能です。ならば、日本国の象徴の「たったひとりの天皇」に伝えるしか他に術は無かったのです。
 そういった意味では、今回、私は何も知らずに無意識に、その行動をとることが出来て、本当に良かったと思っています。天皇が動くことで、本音を語るだけで、これまでの明治以降の近現代日本史が根底から覆ることになる、ということも分かりました。そのきっかけを与えることが「審神者」にあるのだと、感慨深く、気持ちを新たにしました。

 審神者とは肉体を持つ神の化身としての天皇と、多次元にある神の相体を仲介するのです。多次元の仲介者であり、審神(さにわ)、触媒、これらは鏡です。つまり審神は鏡でないといけません。だから、審神には鏡を彷彿させるサインが名前に隠されているわけです。その人が審神ですよ、という合図が必要です。
 そして、その審神(さにわ)は鏡(かがみ)で、蛇身(かがみ)、つまり蛇体です。それは蛇体で中心の鏡として3次元と多次元とのバランスを取り、均衡をもたらす働きがあるのです。
 日本のアナグラムでは、「JAPAN」が「NAP JA」になります。その意味は「転寝をする蛇」で、つまりは「とぐろを巻く蛇」のことです。つまり「JAPAN」という名前自体が「蛇身」、そして宇賀神であり、宇賀神=アラハバキ=セオリツ姫、を意味しているのです。

 3次元のむら社会に飲み込まれる「原」は、多次元を忘れて孤独感を味わっていましたが、多次元的に「たったひとり」でありながらも「全員が繋がっている」という「ひとつ」に繋がる概念が現れるのです。「たった1人」の3次元の自分と、「ひとつになった」多次元の自分を仲介し、繋ぐ鏡としての自分が確立するのです。三次元と多次元が均衡して始めて、「鏡」の存在感は増すことになります。