8月中旬の新聞で、今年は賢治生誕120年にあたり、花巻市の宮沢賢治記念館での記念行事の記事を目にしました。
「詩人で童話作家の宮沢賢治(1896~1933年)の生誕120年に合わせ、生まれ故郷岩手県花巻市の宮沢賢治記念館は19日、「雨ニモマケズ」の詩が書き込まれた手帳を報道陣に公開した。20~28日に特別展で一般公開する。
この詩は、東日本大震災後に人気が高まっており、所有者から他施設への貸し出しはあるが、同館での展示は初めて。
宮沢明裕上席主任学芸員は「一般に『雨ニモマケズ』が代表作と思われがちだが、作品としてではなく、理想や希望を個人的に記したものだと分かる。ぜひ直接見て、生の賢治を感じてほしい」と話している。手帳は縦13.1センチ、横7.5センチ。黒色の革で覆われ、166ページにわたって作品の構想や宗教について記している。「雨ニモマケズ」の詩は51~60ページに書かれ、後に字句を修正した痕跡もはっきりと残っている。」
このことをKさんに話したら、展示のことを知りませんでしたが興味深そうに聞いていました。そして9月4日にお会いした時に、花巻の宮沢賢治記念館に行って来て、久しぶりに故四王神社であわ歌を歌って来ましたよ、と言って、プレゼントに「宮沢賢治 雨ニモマケズ手帳」を頂きました。嬉しく頂きましたが、いつも心優しい気遣いありがとうございます。
手帳を開いて中を見ると不思議な世界です。表紙裏から30ページほどにわたり賢治の手帳の中身がそのままに印刷されています。普通の予定などを書いたものではなく、明らかに創作ノート、覚書のようなものです。文字の多くは判読出来ないものも多いのですが、内容の読み解きの冊子も付いていて助かります。
「雨ニモマケズ手帳」は賢治の死後、弟さんによって大きな黒いトランクの内袋から発見されたものです。雨ニモマケズの詩は賢治が37歳の若さで亡くなる2年前の11月3日に病床の中、手帳に書かれたものです。
賢治は常に手帳を持ち歩いて、脳裏に詩が浮かぶたびに書きとめ、それは清書された後は破棄していたといいます。しかし、この「雨ニモマケズ手帳」は死の直前まで書かれ、賢治の死によって稀有にも遺されたものだったようです。
今回手帳を復刻するにあたり、次のような紹介があります。
「『雨ニモマケズ・・・・・』手帳は宮澤賢治が作品として書いたものではなく、その時の心情や考えを書きとめたもの、と言えると思います。
・・・しかしながらこの手帳に書きとめられた言葉「雨ニモマケズ・・・」が宮澤賢治の代表作として多くの人々に親しまれているのはひとえにその「精神」に感銘を受ける人々がいつの時代にも大勢いるということではないでしょうか?
そして、またそれがここにこの手帳を復刻する理由の一つでもあるのです。
今回作成したこの手帳はオリジナルを全ページではなく、約30ページ抜粋したに過ぎませんが賢治が持っていたという雰囲気をそのままに文字、形、色、手帳の形態それにペン刺しに入った短歌までもそのまま復元しました。
別冊で手帳の内容を活字で読み易くした冊子も付いてありますので、文献で自分なりの解釈をつけてみると、より理解が深まると思います。
この手帳で、賢治をより身近に感じていただければ、企画者としてこれに勝る喜びはありません。」