今回の巡りのテーマは開催案内に記されてある様に、「アラハバキ、瀬織津姫、北斗妙見の縁の各所であわ歌を響かせ、大変動に向けて新たな働き、光と響を発動させる陸奥日月星を一体と成す巡りの旅。」ですが、そもそもの大元は奥州市水沢区にある妙見山黒石寺を開き、発動させることにあります。
これまで黒石寺には中山博さんとは2010年以来、4回訪れていますが初めの時はそれなりの応答でしたが、テーマを持って訪れてからは中々、頑なに光を受け入れて新たに進む事を拒んできていました。当時は、黒石寺に近づくに従い、身体が強烈な不快感、硬直など明らかな負の情報を感受していました。
しかし回を重ね、前回、2016年4月10日に訪れた時には、大分受け入れられるように変わってきて下さりました。そしてあわ歌を響かせた後のお言葉の中でも最後に、以下の様な言葉で終わっていました。
「新たなる光は今一度。それまでの御用意を。」
その内容は、本ブログ「601「菩薩5」2016,4,25」を参照ください。
http://tenmei999.blogspot.jp/2016/04/6012016425.html
それを受けて、黒石寺に関係する諸々を含めて陸奥の各所を日、月、星と捉えて、基本コンセプトは①アラハバキ・巨石 ②瀬織津姫・早池峰山 ③北斗妙見、の日月星を整え一つにする。その巡りは陸奥を北上して桜松神社・不動滝を始点として、そこから南下して左回りに3回転して黒石寺へ入る、と言う案で計画をしました。そして今回の訪問がいよいよ始まりました。
順調に走行して、前沢SAで1度休憩を取り、盛岡から参加のKさんをピックアップ予定のテレトラック安代を目指します。Kさんは高速バスで来ますが、安代の手前でバスを追い越し、こちらは安代のバス停で9時8分着のバスの到着を待ちます。Kさんも私たちがバスを追い越したことに気付いた様でメールをくれました。
バスは9時9分着となり、99の括りの時間に丁度ピックアップすることに成りました。どうやら今回の巡りでひとつの締めくくりが出来る予感がします。地元をおさめる姫巫女的存在を迎え、嬉しき始まりです。
桜松神社は朝の清清しい生気に満ちていました。境内にある不動滝は日本滝百選のひとつで、岩手県で唯一の名瀑です。鳥居を過ぎて綺麗な参道を進み右手に桜松神社の拝殿があります。御祭神は滝津姫命、瀬織姫命です。さらに奥に進むと不動堂があり、そこから滝の水音が聞こえます。不動堂から下るとすぐに不動滝です。9月に入っての台風の影響でしょう、水量が多く、将に名瀑の姿です。
以下は「不思議空間、遠野」に記載された興味深い記事ですので紹介します。
「元和元年(1615)現宮司である村上家の祖先が、この地に不動明王を祀った時より始まると云う。明治の初めまで櫻松不動明王として尊崇し奉仕してきたが、明治初年(1868)宮司村上藤之進が神社を創立し祀官として奉仕す。桜松神社の名称は不明だが、瀬織津比咩が祀られ滝不動と呼ばれていたが、明治40年に桜松神社となったという。
ところで桜松神社の名称が不明という事だが、例えば美保の松原の天女伝説の様に、松の木は弥生時代に輸入された神の寄り付く樹木であった。また桜は、遠野の猿ヶ石川が氾濫した時に桜並木を植えた事からわかるように、優れた保水力と鎮魂を意味するのが桜の木であった。その「桜」の漢字には「女」という漢字が使用されている。つまり「桜」という漢字は、元々女性を表すのではないだろうか。つまり桜松神社に「桜」という漢字が使用されていのは、水神でもある女神の瀬織津比咩であるからでもある。そして「大祓祝詞」の疑体現する地に琵琶湖があるが、その桜谷に天智天皇以前の古くから祀られていたのが瀬織津比咩である為、元々桜の木と縁が深いのが瀬織津比咩である為の桜松神社という名称では無かっただろうか。
やはり、白蛇が祀られていた。滝沢村の白澤神社は、町史によれば瀬織津比咩が祀られていたが、いつの間にか瀬織津比咩から白蛇に変わっていた。恐らく県内の白蛇を祀っている殆どの神社などの以前は、瀬織津比咩が祀られていたのではなかったろうか。」
http://dostoev.exblog.jp/18047086/
赤色の橋の上から滝に向けてあわ歌を響かせました。あわ歌の新しい歌い方は、滝の音にかき消されるようですが各自が強く響きを発して良い加減です。そこでのお言葉です。
「働きは終わりたり。これより参るは新たなり。
更なる働き、今より新しきへ向かわれませ。
この水、大きなる働きとなす。」9:53
滝から渓流の散策路を戻りましたが素晴らしい自然のエネルギーを頂き、新たなるへの始まりの始まりとなりました。