今回は澤野大樹仙台講演第13章で演題は「インフルエンサー」です。
そして8月6日は72年前に広島に原爆が投下された日です。いろんな事がこの日に関係、連動して、「インフルエンサー」していたように思います。
講演会は常連の皆さんで丁度良い人数でした。今回は、その他、最新時事問題、政治問題に多くの時間が割かれましたが、そのほとんどが一般に公開することができない内容なので掲載できません。
ですので講演内容を詳しくお伝えできませんが、その沢野さんの講演へのメッセージと雰囲気、私の印象に残ったポイントだけ簡単に紹介します。
先ず「インフルエンサー」の講演要旨に澤野さんは以下の様に記しています。
「クォーク、素粒子から人、社会、地球、太陽系、大宇宙は一本のメビウスの輪が一捻りされてフラクタルに展開されている。これまで「人」は、そのうち、「人」の領域でしか考えられなかった。しかし、私たちが「これこそが人である」と思っているものと、本当の「人」とは違ったのだ。
「素粒子一個」でありながら、それは「大宇宙全体」とフラクタルに直結している。つまり、それはすなわち、「ひとり」でありながら、「ひとつ」であることが同時に共存していることに気づくのだ。
精神世界の探求によって、知識として「ONENESS」を思い描くことも大切であるし、それは楽しいことだ。しかし、その「ONENESS」(ひとつ)には、じつは同時に「ONE」(ひとり)が同量にて均衡していることを見落としてはならない。
私たちは真の「ONENESS」をつい求めがちだ。しかし、それではじつは不十分だった。スピリチュアル世界の究極を求め、真の「ONENESS」を生涯をかけてまで求めるのであれば、その労力と等しく匹敵するだけの「ONE」を考量していなくてはならない。
しかし、多くはその甘美な「ONENESS」にのみ傾注し、しかもその意味を付和雷同的仲間意識、ムラ意識であると徹底的に勘違いしてしまっているように見受けられる。「ONENESS」を追い求める者たちがもっとも恐怖するのが、じつは「ONE」だろう。誰でもひとりや孤独を恐怖する。しかし、「ひとり」と「ひとつ」は同じメビウスで一捻りされて繋がっているリングなのだ。ならば、究極の「ONENESS」を求めるものならば、同時に究極の「ONE」をも極めなくてはならない。
この働きは、じつは「アラハバキ」の均衡作用そのものである。このことを発見すると迷路からの脱出は近い。素粒子が変わると、原子が変わり、細胞が変わり、身体が変わり、意識が変わり、社会が変わり、地球が変わり、太陽系が変わり、全宇宙が変わる。そして、この大宇宙とは、一捻りされて素粒子そのものと返る。これらのどの局面からでもそれらはメビウスの輪なのだから、すべては波及循環によってフラクタルとなっている。
ならば、人の、社会の、そして地球の、そして宇宙の刷新大変革を行うために必要なことは、決して「大事業」ではないことがわかる。メビウスの中の任意の「ある一点」に変革のスイッチを入れることができれば、そこから一気にそれは「インフルエンサー」としてメビウスの輪を高速で駆け巡る。
8月の仙台天命塾での講演会では、最新時事解説をはじめ、この「インフルエンサー」についてお話ししたいと思います。」
将にこの深遠な理を極めて、現象界の3次元と多次元の相関する濃厚な内容のお話を3時間を越えて語って下さいました。新たな切り口、視点で眼から鱗の世界です。しかし今回は参加者のみで共有、共感出来る世界です。
澤野さんのメッセージにあった以下がポイントです。
・究極の「ONENESS」を求めるものならば、同時に究極の「ONE」をも極めなくてはならない。
・この働きは、じつは「アラハバキ」の均衡作用そのものである。このことを発見すると迷路からの脱出は近い。
・素粒子が変わると、原子が変わり、細胞が変わり、身体が変わり、意識が変わり、社会が変わり、地球が変わり、太陽系が変わり、全宇宙が変わる。
・そして、この大宇宙とは、一捻りされて素粒子そのものと返る。これらのどの局面からでもそれらはメビウスの輪なのだから、すべては波及循環によってフラクタルとなっている。
・ならば、人の、社会の、そして地球の、そして宇宙の刷新大変革を行うために必要なことは、決して「大事業」ではないことがわかる。
・メビウスの中の任意の「ある一点」に変革のスイッチを入れることができれば、そこから一気にそれは「インフルエンサー」としてメビウスの輪を高速で駆け巡る。