途中、宮守のめがね橋が正面に見えます。綺麗なアーチです。停車して写真撮影です。
猫の事務所のある大迫交流活性化センターはお盆のお祭りでしょうか、駐車場が閉鎖されてイベント広場の様になっています。クラシックな洋風建築が一際目を引きます。旧稗貫郡役所を復元した建物で、そこが目当ての猫の事務所です。広場には弘前ねぶたが飾られています。
以下が展示館の紹介です。
「平成19年10月にオープンにした花巻市は、本館と展示館の2つの建物からなっております。
展示館は旧稗貫郡役所を復元したもので、宮沢賢治の童話「猫の事務所」のモデルではないかと言われております。
館内には早池峰と賢治にかかわる作品紹介、賢治が常宿としていた旧石川旅館の部屋再現、風の又三郎の舞台ともいわれる猫山のモリブデン鉱石などを展示しています。
http://blog.goo.ne.jp/suzukikeimori/e/db1bac12cf0ac27b4cabea469fb65cf3
宮澤賢治の童話「猫の事務所」のモデルとも言われている建物ですから、展示室には「猫の事務所」の登場人物が、黒猫の事務長さんはじめ、あちこちに配置されていて、楽しい雰囲気です。
その「猫の事務所」のあらすじを紹介します。
「軽便鉄道の停車場のちかくにある猫の第六事務所は猫のための歴史と地理の案内所。そこには大きな黒猫の事務長、一番書記の白猫、二番書記の虎猫、三番書記の三毛猫、そして、四番書記のかま猫(釜猫、竈猫の表記をとる本もある)がいた。
かま猫は三人の書記にいじめられながらも、黒猫の支えやかま猫仲間の応援もあり、仕事に励み続ける。しかし、かま猫が風邪をひいて事務所を休んだ日、三人の書記の讒言により、黒猫までもがかま猫を憎むようになり、かま猫は仕事を取上げられてしまった。
その様子を見た獅子は事務所の解散を命じる。語り手の「ぼくは半分獅子に同感です。」という言葉で物語は閉じられる。」
その解説です。
「差別やいじめの空しさを描いた作品であり、責任者である局長が学問や仕事を、かま猫への嫌がらせに使った瞬間に、事務所から仕事が奪われるという構成となっている。 賢治は獅子の決定に半分同感であると結んでいる。
なお、特徴的なラストは、草稿の段階では「みんなみんなあはれです。かあいさうです。かあいさう、かあいさう。」となっており、発表版とは大きく異なっている。」
(ウイキペディアより)
大迫は賢治の沢山の作品の舞台になっていて、童話「風の又三郎」、「注文の多い料理店」、「どんぐりと山猫」他、詩「春と修羅」などがあります。後、賢治も登ってこよなく愛した早池峰山の蛇紋岩の世界もこの地が登山口になっています。その大迫での賢治の土性調査で宿泊した石川旅館の事など盛りだくさんの展示内容です。
展示の中で初めて知った興味深いことがありました。それは賢治とダルトン・プラン教育のことです。
菅原隆太郎氏は羅須地人協会跡地の賢治詩碑(リンク)建立発起人の一人で、大迫小学校の校長・大迫町長を務め、「ダルトン・プラン教育」を実践した方です。賢治が大迫を訪れた際、当時の新しい教育方法・ダルトンプラン教育に高い関心を示したことから互いに意気投合し、親交を深めます。その両者の親交の深さを証明する、隆太郎宛てに直接贈られた
「国訳妙法蓮華経」などの貴重な展示もされています。
そのダルトン・プラン教育とは「1920年(大正9年)にアメリカのバーカスト女史がマサチューセッツ州ドルトン市で創始した、一人一人の子供に合わせて自学・自習させ、能力や興味を引き出す教育方法。大迫小学校では1923年(大正12年)6月11日より実施。1932年(昭和7年)、戦争の時代に入り統制教育へと進んだため、大迫小学校でのダルトン・プラン教育は幕を閉じた。」
賢治の世界は奥が深く興味が尽きません。天気も回復して来たので暑さが戻って来ました。持参した冷凍スイカを車中で食べてスッキリして出発です。