2017年8月10日木曜日

1027「繋がり自立10」2017,8,10

 旧石器時代は2万年位前で、気温が一番寒くて今より7~8度低い状態でした。氷で陸続きでした。生きるのが大変でした。やがて暖かくなり、6000年程前には、今より2度高くなり、氷が溶けて海面上昇が起きました。だんだん住み易くなりました。その後、又、寒冷化した4000年前には海面低下が起きました。海が内陸に入った縄文海進が起きたのです。
 その為に内海が山の近くまで来ました。安全で貝塚が出来ました。徳川家康は関東の沼地を整備して江戸にしましたが、そこは4000年前は海でした。縄文の彼らはその地形を上手に利用して、漁労採取して生活していました。西洋の様な狩猟でなく漁労採取をしていたのです。
 栗、胡桃は東北で主食でした。栗林を人工的に作っていました。栄養状態は良かったです。現代人のカロリーの8割を摂っていたようです。貝塚で見れる貝で、良い出し汁を取れました。

 1日の生活は、お祈り、火起こし、水汲み、そして食事です。日中はどんぐりなどを拾いに行き、男は猪を捕りに行きました。四季に応じて労働していました。春は山菜、夏は魚、秋は木の実の採取です。そして芋、豆、牛蒡など栽培していました。
 食べ方は茹でる。熱石に葉っぱで蒸す。塩蒸し。炊く。などです。
 木から油をとってランプも使っていました。道具の手入れをして、日暮れで夜は寝る生活です。日の出と共に起き、日の入りで寝る自然のリズムの日々です。
 現在の私達の1日と、昔は大分違います。150年前に灯りが出来ましたが、当時も夜は寝ていました。しかし、今は自然から懸け離れている生活リズムで、とてもストレスです。寝るとは、根っこに帰っていくことです。その睡眠が疎かになっています。

 お金が無くても交易があり、物々交換していました。黒曜石、サヌカイト、土器の移動があり、その交易の範囲は広く、遥かに進んでいました。
 縄文にも癌患者がいました。当時の通過儀礼で犬歯を抜く風習があります。そして平均寿命40歳以上でした。

 縄文土器の縄目の種類は1万種のバリエーションがあります。貝の輪は腕輪に使っていたものです。それは太陽の象徴で、茅野輪くぐりに通じるものです。
 戦士が戦に出る時にしたことは、下着を染めたこと、身体の白髪染めをしていたことです。老いた戦士を殺すのに、相手に要らぬ気を使わせない為でした。
 ペット犬がいて、狩の仲間で可愛がったいました。
 貝塚にあったものは、貝、魚の骨、人骨、貝の腕輪、土偶、石棒などです。ゴミ捨て場だけでなかったようで、儀礼の場でもありました。
 食事のメニューはさしみ、鍋料理、ハンバーグ、クッキーなど、割と豊かでグルメだったようです。
 祈りを捧げました。身を上げ、捧げることがお土産の意味で、子孫を感じます。


  お話を終えて、油粘土を使ってのワークです。土器やアクセサリーを皆さんで作成します。その道具は大和農場の自然の中から探して来るのです。石であったり、植物の葉、茎、木の枝などです。暫し童心に帰って1時間程楽しみました。


 皆さんで作品を並べて製作の想いを述べ、かつて縄文の頃、自分は何て呼ばれていたのか、想いのままに発表して、皆さんとシェアしました。


 その後は美味しい昼食のお弁当です。