2019年4月10日水曜日

1635「シャーマン18」2019,4,10

 普通は、檀家は寺に従うものです。私の家は檀家の本家ですが大事件を犯しました。それで葬儀屋がビビってしまいました。
 寺を葬儀に呼ばないと言ったのです。そんな事例はこれまで無いのです。お寺の住職は糞坊主で、お金に汚い人です。そして死後の供養を全部やりに寺に来い、と言うのです。
 私は母と話しているのですが、何の為に行くかの?これが答えです。しかし妹は「お兄ちゃんと違う。」と言って、「ちゃんとやりたい。」と言います。
 私のお寺は曹洞宗で、先代住職は人格者でした。しかし3代目の今の住職は糞坊主です。糞坊主は「それをするのが供養だ。」というのですが、それは偽物で偽りです。

 結局、寺を呼ぶ事無しで納棺をしました。その分、葬儀屋は丁寧にしてくれました。8畳1間で全部終えられました。1人1人がしっかりと思いを込めて母の亡骸に関われました。 
 葬儀はお別れの儀式です。故人とちゃんと話したのか。時間をかけた方が良いです。

 母が亡くなった6月9日は仙台天命塾のツアーで青森にいました。知らせを受けて、直ぐに実家に向かいました。途中、母と話しをしました。
 母は「肉体に入ったが動かない。死んだんだと分かった。」と言います。そして母が言いたいことを書き留めました。1人、1人に父、妹などに向けてのことです。そして家には夜中の12時過ぎに帰り着きました。父は警察が帰った後で疲れ果てていました。 

 私は病で父が先に逝くと思っていました。しかし母が先に死んでしまいました。これは大誤算でした。
 何故か?突然死で心臓が止まったのです。その時、母はパニック状態でした。兎に角、母からは、「葬儀は大がかりにしないで親族だけで、こじんまりに。」と言われていました。
 遺体の近くに霊体がいます。死んだ肉体を見て確認しているのです。自分の死を、リアルに夢でないと確認するのです。母はそれを理解出来て、考えてアドバイスをくれました。 
 墓に入る事を望んでいませんでした。「妹たちとは価値感があわない。」と父が言っていました。「全く違う人種で、分からん。」と言います。父は無神論者でしたが物事の理を分かっています。父は柳田邦男を研究してきていて、民俗学の権威ある書物を収集し、研究していました。

 葬儀には、火葬、土葬、風葬、水葬、木葬、鳥葬、洞窟葬があります。世界にはそれらが全部あります。その中で火葬が正しいわけではないのです。母に聞いたら、「火葬は嫌だ。」と言います。「燃える姿を見たくない。」と。
 火葬は正しい葬り方ではありません。時間をかけてゆっくり、ゆっくりとするのが良いです。じっくりの方が亡くなった人は納得します。その準備期間は必要です。
 霊は何度も身体を見に来るのです。自分が亡くなったことを考えさせる時間を与えることは必要です。洞窟葬は沖縄でやられています。やがて遺体を大きい墓の中に置き、後で骨だけまとめて安置する土葬が行われます。

 戒名とは死んだ後に修行して、上の世界で必要と言います。しかし、それは修行した坊さんに証拠として与えるもので、生きている時に修行途中で亡くなった坊さんに対して戒名を与えたのがスタートです。やがて特権階級が死んで名を貰う、一種のステータスとして始まったのです。
 この制度は日本だけでインドにはありません。歴史の中でも数百年の浅い歴史のもので、江戸時代からです。
 今は1文字10万円で7文字、9文字、13文字とあります。私のお爺さんは超貧乏だったのですが、若い時に儲けたお金を寺に寄進していました。その恩返しにと住職が凄い戒名を付けてくれました。これも、「やらねばならぬ。」ことでないのです。