「私は68年ボーと生きてきました。話す事が苦手で、物事を考え、文章に書く事も苦手です。高校を卒業して務め、組織の中でバーチャルな中でやるべき事をして貴重な体験をしてきました。私は末っ子でやるべきことをやらずに育てられました。
会社を2年前に退職し、自分の本質の自分、素に戻る決心をしました。今回この様な場で話しをする機会を頂き、修行のチャンスを与えられたと思っています。
私は空っぽで、それを埋めようとしても埋められない、コンプレックスの塊で、加齢と共に傲慢さも出ていました。しかしそれを嘆いてもどうしようもないので、空っぽの自分が出来る事を淡々とすれば良いと思い、チャンスとしてやって行こうとしてきました。
私は物事の見極め、審神者は出来ないと思うのですが、気持ちを切り替えて行動している内にコンプレックスがなくなってきました。
それは出来ない事は出来る人にしてもらう。自分ひとりでするのでなくコラボしてする。そして無駄な努力はしない。依存せずに他の方が出来る事を自分もしている内に楽しく、嬉しくなって来ている自分がいる。そんな感じでやって来ています。
私のエネルギー準拠位置はまだ低いのでマイナスの環境を作らないように気を付けています。テンメイには5、6年前に参加していて、入って間もなくイシスさんのリーディングを受けました。その中で私の生きる目標、考え方が整理出来ました。その内容を柱にして今は生活しています。
その言霊の内容ですが、スサノウの事は村構想に、御霊を鎮める鎮魂の歌はあわ歌に。あわ歌は身体が揺さぶられる響きがあります。そして子供の頃からの夢は、大きな家で緑豊かな土地でした。今はそこを生体エネルギーで環境を整えて農業をし、健康で生き生きと活動していきたいと思っています。
人には可能性がありますが、この私の3本の柱はみんな繋がっていて、テンメイの理念に近いと感じました。ですからこのテンメイに出逢えたことは幸せなことです。
退職後1年目は農場の手伝いを農場スケジュールに沿ってしました。6人兄弟の末っ子で農家に生まれたのに農作業はしないで育っていました。ですから1からの体験学習で農場長に教えてもらいながら出来る事を手伝う、そういう日々を楽しんでいました。
2年目はシルバー人材センターの紹介で保育園の清掃作業を月・水・金の午前中して、火、木は農場へ通っていました。しかしその保育園の仕事はこの3月で終了してしまいました。これからは家の近くのパン屋のパートをすること、そして農場へ通うつもりでいます。
パン屋さんではあえて課題になる場を作る事を考えてしています。それは自分の苦手としている対面で人との応対、コミュニケーションです。その克服の為で、対面業務としてパン屋が良いかと思っています。
色々な所で成長させてもらえる場が出来て、楽しくなり喜びが出て来ています。空っぽの私が居て、はたの人が楽になり、明るくなれるような働きを創造していきたいと思います。
これからは生体エネルギー、天命塾、テンメイ農場、真向法、武術の学びを継続して行き、フードコーディネーターとしてやって行く事で生きがいの創造をして行きたいと思っています。」
お話しの中で笑顔が絶えずこの様に自分を楽しく表現できるようになった自分を満喫している姿は聞いている皆さんに喜びが拡がり、場が和みます。