死とは肉体から霊体が離れることです。肉体が霊線で繋がっているのは幽体離脱で、霊界の一部を垣間見ることが出来ます。しかし死者の見る世界は違うものです。
霊線が切れると死です。もはや身体が反応しないので、動かせないのです。そうなったら死を受け入れるしかありません。そこから蘇ることは無いです。自分が死んでいることを、どれだけ早く言い聞かせるかですが、それには個人差があります。
しかし、いきなり死ぬ人はそのことを受け入れないのです。死の覚悟がないので疑問が続き、己が死んでいないという感情が続くのです。そして一番落ち着く所、家へ行くのです。そして、そこで縁のある霊と合います。普段からいるのが見えるだけです。そして見える様になって、迎えに来たと言います。
病死は徐々に霊感で見えて来きます。死に方によるのですが、縁のある霊人が全部そこにいて見えるのです。しかし仲が悪い人はそこには居ないのです。ただし選んだ人は居る事あります。そこに誰が居てくれるか?愛され、仲が良い人がいます。今生に居ない御霊もいっぱいいて関わっているのです。知らない顔は前世の繋がりの者たちです。
魂が強い感覚となって来て、肉体の記憶がどんどん薄れて行きます。名前すら薄れて行きます。そうして時代すら、名前すら忘れるのです。そして通夜、葬儀の場面を見て、自分が死んだことを確認するのです。
かつて私のライブ等を主催していた女性が亡くなり、京都の私の所に挨拶に来ました。亡くなった確認をしに来たことがありました。家族に死後がどの様にあるか、そのことを伝えて欲しいと来たのです。
翌日、通夜に行ってお伝えしました。その方は葬式に自分が来て覚悟が出来たといいます。それから葬式の様な形は必要だ、と言うようになりました。
姿が揺らぎ、形が消えて死んでいき、翌日には形が無くなっていました。通常はもっとこちらにいるのですが、必要な学びを終えたので直ぐに消えて行ったのです。
本当に来て欲しい人は通夜に来て欲しい、と伝えていました。そこで終わりました。そこには、本人がしたいこと、残された人たちを悲しませない為の配慮、旅立つときの霊性の差があります。
地球霊界は霊性が混在しています。そのことを分かる者、分からない者がいます。地球の生き方で、この事を知る事が大事です。
自分の肉体から霊体は口から抜け出るか、頭の後ろから出るかです。脳の中から出る関連物質です。死の瞬間には苦しみは感じません。そこに行くまでには苦しみを感じます。どの様な死に方かで、付いて来る感情が違います。
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真ん中に光の様な線があります。そしてその両側に思考を映す半透明なテレビがあります。そこに意識を向けた瞬間にブラウン管に吸い込まれていきます。そこでその場面を見ることになります。
死んだら閻魔帳を見せられると言われていますがそれは無いです。しかし魂に記憶されていることをもう1回総なめすることになります。それを瞬間でするのです。
もし悔いがあるとしたら、その場所に止まり、霊道に戻って来れないことが起きます。そしてそこに留まることになります。その体験を1個、1個させられるのです。そうなると先へ進めない。そうして1通り終わったらスッキリして解放させられるのです。