階段を降りるとそこに拡がる世界は様変わりで、別次元で、異次元空間です。階段の左手には巨岩があり、地面との隙間にお地蔵さんが祀られています。
観光船の船着き場があり丁度出航した所で観光客は少なく、ゆっくりできます。
また少し仏ケ浦の説明です。
この場所は長い間、地元の限られた人々にしか知られていませんでしたが、1793年(寛政5年)に旅行家・博物学者である菅江真澄が訪れて歌を詠みました。さらに1922年(大正11年)には文豪・大町桂月が 下北半島の山水を訪ねてこの浜に至り、その造形の奇妙さに感歎して歌を詠んでいます。海岸には、大町桂月の歌碑が建てられています
「神のわざ 鬼の手造り仏ウタ 人の世ならぬところなりけり
呆れ果て 驚き果てて仏ウタ 念仏申す外なかりけり」大町桂月
「旧暦6月24日はお祭りであり、現在は7月下旬に行われています。この「仏ヶ浦まつり」では、地元の女性たちが十三仏のご詠歌を唱え、長い数珠を十数人で繰るという風習が伝わっています。祭典の日は近郷近在からの参詣者が特に多いですが、この日に偶然訪れる観光客の人々はその幸運にたいへん感激されます。
語り伝えによると昔は、地蔵尊信仰の人々は23日に恐山の地蔵堂にこもり、翌24日は四里の山谷を歩き、仏ウタに降り、この地蔵堂に参詣するのが慣わしであったといいます。
仏ヶ浦に祀られているのは地蔵菩薩です。地蔵堂のほか、海岸の数カ所に石の地蔵様が鎮座しています。仏ヶ浦周辺の福浦地区や牛滝地区の漁師にとって、この場所は大切な信仰の場所です。この地に地蔵菩薩が祀られていることは、仏ヶ浦を賽の河原と見なし、石を積む風習が残ることと 関連があるのかも知れません。
賽の河原とは、三途川の河原であり、親に先立って死亡した子供が、その親不孝の報いで苦を受ける場とされます。そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために積み石による塔(卒塔婆)を完成させると供養となると言いますが、完成する前に鬼が来て塔を破壊し、何度積み直しても破壊され、永遠に終わらないという俗信があります。しかし、最終的には地蔵菩薩によって救済されると言われています。
この世で亡くなった者は仏ヶ浦を通って旅立つ、という言い伝えもあり、それは彼岸と此岸の境界、つまり三途の川であり、その河原は賽の河原と見なすことができます。
地蔵菩薩は、仏教の六道輪廻の思想から、六道のそれぞれを六種の地蔵(六地蔵)が守護するという説があり、旅立つ場である葬儀場や、寺(墓所)などに祀られることが多い。このように、古来からの言い伝えと仏教思想が組み合わされて、仏ヶ浦に地蔵菩薩が祀られた、という推測ができます。」