2019年11月10日日曜日

1852「下北・恐山18」2019.11.10

 次の目的地、佐井村の願掛け岩には国道338号線を北上します。展望台から少し北に進むと道路上の電線を野生猿が歩いているではありませんか。その前には群れをなして悠然と道路脇を歩いています。脇ノ沢町に野猿公苑がありニホンザルの日本の北限とされていますが、優に20キロ以上も北です。野猿天国、楽園なのでしょうか。






 海岸沿いの道から遠くに巨大な岩が斜めに聳えています。



二つの岩の間は入り江になっていて案内板があり、そこに縁結びの鍵を掛けて吊るすチェーンが仕掛けられています。


以下の様に紹介されています。

「願掛け岩          佐井村矢越
 願掛岩は青森県下北郡佐井村大字佐井字矢越に位置する名勝です。願掛岩は見ようによっては男女が抱き合っているような姿をしている為、古くから恋愛成就の信仰の対象となってきました。
 江戸時代の紀行家"菅江真澄"が寛政4年(1792)に願掛岩を訪れた際、この地には願掛岩に建立されている稲荷社と八幡社の鳥居に 桜の枝を鍵として掛け、異性に自分の想いが通じるように願を掛ける風習があることを記しています。その為、この大岩が願掛岩や鍵掛岩と呼ばれたそうです。
 又、津軽海峡から見ると航海の目印にもなった為、漁業関係者が崇敬され信仰の対象になりました。又、願掛岩の下には鳴海要吉の「 あそこにも みちはあるのだ頭垂れ ひとひとりゆく猿がなく浜 」の歌碑(文字:秋田雨雀)が立てられています。」

「願掛岩(がんかけいわ)は、まぐろの一本釣りで知られる本州最北端の大間崎から国道338号を約20km南下した佐井村矢越岬の突端にある。休日のせいだろうか、国道ですれ違う車はほとんどなく、所々に現われる集落でも人の姿を見かけることはまれである。
 ここ40~50年の間に、下北半島西回りの道路網は整備された。昭和42年(1967)年に佐井村の磯谷集落~牛滝集落間に海岸林道が完成。同43年、佐井村~川内町を結ぶ県道「かもしかライン」が開通。同45年、佐井村~大畑町を結ぶ「あすなろライン」が開通。同57年(1982)には大間~脇野沢~川内間(海峡ライン・338号線)が国道に昇格した。自然が刻んだ奇岩の景勝を気軽に堪能できるのも、この道路網のお陰といえる。
 それでも冬期になれば、ここは「陸の孤島」と化してしまう。国道338号線の佐井村~脇野沢間は雪で通行止めとなり、地域のライフラインは青森~脇野沢~牛滝~福浦~佐井の港を結ぶ高速船「シィライン」を頼らざるを得ない。この航路は国の離島航路補助制度に基づき運航されている。本州の一部であっても、離島としての扱いを受けなければ立ち行かない。それほどの僻遠の地なのである。

 しかし、菅江真澄が訪れた江戸時代後半の佐井村の様子は、今と異なり大層にぎわっていたようだ。当時、この地は南部盛岡藩の所領だった。享和3年(1803)、このころ蝦夷地周辺にロシア船がしきりと来航するようになり、幕府は海防策として佐井湊を函館への渡航地と位置づける。以来、廻船問屋も定着し、南部檜と海産物の積出港として佐井の村は繁栄を極めたという。
 今から220年余り前の寛政5年(1793)4月1日(新暦5月10日)、桜の好きな真澄は、佐井の港から小舟をこぎだし、牛滝の磯と浦山の桜を巡っている。佐井村逗留時には村長・坂井某の世話になり、江戸で蘭医杉田玄白に学んだ村の医者・三上温(日露戦争に軍医として従軍した三上剛太郎の曽祖父)と親しく交遊している。
 4日、おだやかな朝なぎの日、真澄は三上温とともに、ふたたび佐井港から舟をくり出し浦々を遊覧している。福浦(仏ヶ浦の北)で三上温と別れ、帰路はここから歩き、その途上にある願掛岩に立ち寄った。そのときの記載が「奥の浦うら」にある。

 「矢越のこちらに雌矢越石、雄矢越石といって、その高さ百尋(五〇〇尺以上)ばかりの、そびえたっている大岩があった。小さい祠がふたつあるのは、ほんたの神(誉田別命、八幡社)、やふねとようけひめ(八船豊受姫)を祭るという。二つの鳥居に木の枝をかぎにしてうちかけてあるのは、懸想(けそう)するひとの願いであるという。それでここを神掛といい、また鍵懸ともかくのであろうか。……」
 また解説には、「鍵かけ」について
 「木の枝を鍵状にしたものを鳥居や神木などに投げあげて、うまくかかると願望がかなうという俗信は奥羽地方にあり、神占いとして行なわれていた。」とある(『菅江真澄遊覧記』「奥の浦うら」東洋文庫より)。
 ついで、中山太郎編『日本民俗学辞典』で「鍵かけ」を調べてみると、
 「鍵懸と云ふのは、津軽の山中では屡々見受ける俗習であつて、即ち木の双股になったものを高い木の枝に投げ掛けるのである。主として男女懸想する占ひである。うまく投げかければ念願成就、幾度やつても出来ない時は失望するさうであつて、錦木の風俗を更に碎いた行事である。鍵懸は神掛けかと疑う人もあったが、此のかんがけは今はまったくやらないと云う話である(津軽旧事談)」とあった。

 「男願掛け」「女願掛け」と呼ばれる2つの巨大な岩塊からなる願掛岩は、見方によっては男女が抱き合っている姿に見えるというが、どこから眺めればそのような姿に見えるのか。これは縁結びの岩とされる俗信から生まれた見立絵と思われる。
 願掛岩は、鍵掛(かぎかけ)岩、神掛(かんかけ)岩とも呼ばれているが、「ガン」「カギ」「カケ」はともに崖を意味し、崩壊地形を表わすとされる。『地名用語語源辞典』(東京堂出版)にも、「かぎかけ〔鍵掛〕カギ、カケともに崖の意」「かんかけ〔鍵掛、鐘掛、鉤掛、神懸、上掛〕崩崖のこと。ガンカケと同じか。」「がんかけ〔雁掛〕岩壁、絶壁、断崖のくずれ」とある。
 矢越というの集落名も、由来はアイヌ語の「ヤ・グシ」にあるとされ、ヤは陸地または岡の意、グシは通るの意で、海岸線まで迫る断崖絶壁により、浜は通れぬため岡の上を通ったことから名付けられたという。佐井村一帯が急峻な海崖よりなる崩壊地形なのである。
 真澄の描いた絵図からも、海岸に鋭く聳え立つこの岩が、海上からの絶好のメルクマールであることが分かる。古くは航海の安全を祈る“神の依り着く岩”として、船人の信仰を集め、ムラの守り神として崇敬されいたのだろう。村の観光スポットとして、すっかり縁結びの神様にされているが、断崖地形を表す「ガンカケ」が、恋愛成就の「ガンカケ」に転じたのは、後世になってのことと思われる。
http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_tohoku/ao_gankake/gankake.htm

菅江真澄の絵図『やこしの坂を下る」(『奥の浦々』)
「左井のみなとより やこしのさかをくだりて、
いなりのやしろ 八幡のやしろならびてあり」
案内板より
津軽海峡に突き出る願掛岩