6月30日は水無月、夏越の大祓いでした。大祓という行事は一般的に以下の様にいわれています。
「大祓いは「生活の中で知らず知らずに身についた、罪や穢れ、災厄をお祓いする」という意味を持ちます。大祓によって、1月~6月、7月~12月の半年間についた不浄なものを祓い、清らかな状態で次の半年を過ごせるようになるのです。」
本来は禊祓いであった様です。そして祓の方法には、水を用いる禊(みそぎ)と、祓麻(はらえぬさ)にて祓う方法とに二大別されるそうです。
禊(みそぎ):川や海の清い水につかり身体を洗い滌(そそ)ぎ、ツミやケガレを祓(はら)い清めること。「祓(はらえ)」の一種。「禊祓(みそぎはらえ)」ともいう
祓(はらえ):罪穢(つみけがれ)や災厄を除くための行事。「ハライ」ともいう。
日本古来の宗教思想である神道(しんとう)は、汚穢(おえ)を忌み、清浄をもっとも貴ぶ観念が強く、そのために祓が重んじられる。
祓の起源は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、黄泉(よみ)の国(キタナキ国)の穢(けがれ)を筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の檍原(あはぎはら)において禊祓(みそぎはらえ)をなされたのに始まる。
祓の方法には、水を用いる禊(みそぎ)と、祓麻(はらえぬさ)にて祓う方法とに二大別される。いずれも罪穢を、地下の世界である根(ね)の国、底(そこ)の国に追いやるのである。いやなことをば水に流すというのは祓の思想による。
神道では神前に参拝するに先だって、かならず祓を行い、これを修祓(しゅばつ)という。祓詞(はらえことば)を奏し、祓麻にて祓を修するのである。
また、大祓(おおはらえ)といって、定期的に6、12月の晦日(みそか)と、臨時には罪穢にあったときに行う祓がある。
6月晦日の大祓を名越(なごし)(夏越(なごし))の祓という。大祓には人形(ひとがた)や茅(ち)の輪(わ)などが用いられることがある。
次に紹介しるマナさんの大祓いのお話しが私には共感、納得できます。
「古来、私たちが完全に「神の意識」「神魂」であった頃は、魂と身体が「清浄無垢」であることを理想として、朝には神々を仰いで、その神氣をうけ火し、その波動のままでイノリをしていました。
夕べには神々に感謝しつつ、日々、惜しまぬ心で、喜びから貢献をしていました。ところが、「原初の傷」を負ってからというもの、人をあざむいたり、憎んだり、罪悪感を持ったり、恐れを握ったり、「神氣が枯れた状態」を身にまとうようになってしまいました。
愛、祝福、感謝、喜びなどが枯れてしまった気、つまり、氣枯れ(けがれ)の気をまとって生きるようになったのです。
その古い「氣枯れの気」の服を脱ぎ去ることもなく、着ぐるみ姿のまま生きておられるわけです。それは、古い自分のまま、古い時空間を身にまとっているのと同じであり、新しい神という意識がすっぱ抜けています。新しい創造神として覚醒していないのです。
古い化粧を残したまま、新しい化粧をほどこしても意味がないのと同じで、昨日の自分の意識のまま、昨日の時空間に入ったまま、イノリをしても何の意味もないので、昨日の自分の波動、昨日の時空間の波動を完全に忘れて、完全に手放しましょう。古い時空間のゲーム場(波動)を閉じるわけです。
ずっと積み重ねてきた古い時空間を、すがすがしく祓い清める神儀が「水無月の大祓」の意義です。(みなづきのおおはらえ)
6月30日には、色々な神社で「水無月の大祓」の神儀が行われると思いますので、宜しければ、みなさま各自で「自発的に」ご参加下さい。
そして、大祓を受けたあとは、二度と「氣枯れの気」を身につけず、「あれ?気分が落ちてるかな?」と感じたなら宇宙の中心の愛を意識して、氣枯れのバイブレーションをすぐに脱いで下さい。
あっぱれな喜びあふれる神氣を「意識的に」身につける習慣をつけましょう。これが瞑想です。愛、祝福、感謝、爽やかな清々しさを身につけて、日々、全体のために貢献なさって下さい。
「水無月の 夏越し(なごし)の祓する人は 千歳の命 延ぶといふなり」
この古歌には、「まことの姿に立ち返りたい」と願う先人たちの、ひたむきな意識がうかがわれます。今回、コロナ騒ぎも加わったために、一段と「氣枯れの気」がひどくなっており、今こそ「水無月の大祓」の必要性を強く感じて、(以下省略)」
全国各地の神社で夏越大祓いが行われたようです。夏至までの大きなエネルギーの高まり、日食の岩戸隠し、そして岩戸開き。エネルギーが反転して大祓いを迎えました。2020年の後半が始まりました。日々の行を通して心して秋分、冬至を迎えたいものです。