2016年10月17日月曜日

729「まほろば6」2016,10,17

 昼食は羽黒山参籠所の斎館で精進料理です。年代を感じる建物です。斎館については以下の記載があります

「斎館 (旧 華蔵院)は平成17年(2005)3月 鶴岡市文化財指定
 羽黒山参道三の坂を登りきると間もなく左手にある。もとは華蔵院といい、元禄10年(1697)の再建である正穏院、智憲院と共に三先達寺院の一つで、羽黒山執行別当に次ぐ宿老の住した寺であったが、
 明治の神仏分離の際神社の「斎館」として残った。江戸時代には山内に30余坊あったが全て取り壊され、往時の山伏達の住した遺構として今に残る唯一の建物である」



 私たちの部屋は広間に御神殿が置かれているスペシャルな部屋です。この部屋は神前の間と言われるところです。以下の様な解説があります。
「神前の間:山伏修行の祈祷の場として用いられる。室内には、明治まで末社に掲げられていた扁額「羽黒三所大権現」がかけられ神仏習合の時代を偲ばせる。」

 スペシャルな豪華なお膳を美味しく頂きました。山の恵みが9皿と盛りだくさんな料理で、更に昼からビールを頂ける寛いだ旅です。皆さん大満足で嬉しき楽しき午餐会になりました。


 食事の後に羽黒山出羽神社を参拝してバスに戻り、次の目的地は、酒田市の玉簾の滝です。紹介には
「およそ1,200年前、弘法大師が神のお告げにより発見し、命名したとされる山形県随一の高さ63m、幅5mの直瀑です。かつては山岳宗教の修験場であり、滝の前には「御嶽神社」が祀られています。」
 由来書には
「平安時代初期大同3年(808)第51代平城天皇の御代弘法大師(空海上人)が神のお告げによって大聖不動明王の鎮座する霊地を求めて日向川をさかのぼり発見したと言い伝えられております。
 昔は白糸の滝とも呼ばれておったと言われてもおります。滝の中腹の神座に大聖不動明王の石像があり、その前を流れ落ちる水が玉の簾の様であったというところから名付けられたと言い伝えられております。」

 駐車場から10分弱の参道を進みます。だんだんと滝の音が響いてきます。御嶽神社があり、その奥に見事な滝が全貌を現します。水しぶきを浴びで、マイナスイオン効果満点です。



 駐車場に戻って、お店で取れたての栗や自然の恵みを皆さんこぞって買い、大喜びです。爆買いの我々に売店のおばさんも大喜びでバスを見送って下さいました。

 次の目的地も瀧です。鳥海山の山懐にある遊佐町の胴腹の滝は玉簾の滝とは別物で小さいのですが、林の中に二筋の滝が流れ、広がり心地よい空間を作り上げていて、自然の正気を頂ける別天地です。以下の紹介がありました。
「町中のいたるところに湧水が湧き出る遊佐町ですが、その中でも地域住民のみならず、遠方からもおいしい水を求めて、人々が集う場所がこの胴腹滝(どうはらたき)です。
 週末には、大きなタンクやペットボトルを抱えたたくさんの人々が集まり、その人の列は、平日でも、真冬でも途切れることはありません。 
 「胴腹滝」という変わった名前の由来は、鳥海山の伏流水が山腹から湧き出している様子を、身体の「どうっぱら」から湧き出しているという例えで名づけられました。また、このことから、安産の神としてもあがめられております。」





 更にその景観に付いても以下の表記がありました。
「水が断崖から勢いよく湧き出し滝となる胴腹滝の景観は、沢水が断崖から流れ落ちる一般の滝とは異なり、自然現象としても価値ある滝です。胴腹滝周辺の湧水は、横堰によって集められ、さらに小水路に導かれ、集落の生活用水となり、田畑の灌漑用水となりました。胴腹滝の豊かで良質な水は下流域の人々の暮らしを支え、信仰の対象ともなってきました。」
 そんな素晴らしい胴腹滝で元気を頂いて皆さん笑顔です。

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