仏法の将来か、それはもう駄目だ。今の坊主どもがいくら騒いだって何の効果もありゃしない。寺は沢山ある、坊主も大勢いるが、肝腎の道心というのが念頭にないのは困ったものだ。葬式や法事は始めから商売のように考え、ただ寺があるから寺に住んでいるだけで、何の仕事もしようと思わない。
信仰がどうの、宗教がどうのと、理屈はいくらでも言えるけれど、真実の道心にいたっては塵ほども無いのだから仕方がない。
仏法の第一は無常を観ずることで、無常を観じて仏法に入り、真実の道心を目指して修行し、出家得度の本位を貫く事が坊主なのだよ。今の坊主は何が道心だか、何が仏法だかしりやしない。このようなことでは、真実の仏法が盛んになって行くはずがない。
「人を育てることは最高の功徳」
西有穆山は、「人を育てることは最高の功徳だ」と言っている。育てられた人が社会の役に立ち、さらにまた人を育て、功徳が広がって行くからであろう。
西有穆山の人の育て方は、弟子の岸沢惟安にも伝わったようだ。以下はその岸沢惟安の話を紹介する。
「一善を喜ぶ心を起こす」
「正法眼蔵」の中に、「徳あるは褒むべし」という言葉がある。これは当たり前だ。また、「徳なきは哀れむべし」という言葉もある。これは容易に出来る事ではない。あいつは馬鹿だと言って笑ったりしないで、どうして利口にしてやろうとしないのだ。(略)
徳の無い人をなぶってはいけない。哀れんで、徳を育てるようにしてやらなければならない。
穆山師は
「井戸の水だ。汲めば汲むほど新しい水が湧き出てくる」そう言われて、よく出来た時には褒めて、一善を喜ぶ心を起こす。一善を喜ぶ心が起こると、その喜ぶ心がまた次の一善を呼び起こすのだ。次から次へと大きくなってゆく。
わしどもの知恵がちょうどそれだ。使わずにおくと馬鹿になってしまう。使えば使うほど良い智慧が出て来る。穆山師はそのようにして、人を育てた。
「砂を動かすでない」
わしが頭を剃った翌年の夏のことであった。ある時、お庭掃除をしていると、師匠(西有穆山師)が出て来て「きさま、何をしている」
何をしていると言われても、箒を持って大地を掃いているのだ。聞く必要はあるまし。それを、きさま何をしているのだ、と言う。
「へい、掃除をしています」
「掃除はごみだけ掃けば良いのだ。砂を動かさんでもよい。ごみだけ掃け」怖い最中だから、「へい、へい」と言いながら、力が入るから余計に砂が動く。始末に負えないのだ。
とうとう、「砂を動かすでないと言うのに・・・」と怒鳴られてしまった。
「この砂利は銭を出して大井川から運んできた砂利だ。それを掃き溜めに入れてたまるか」と言って叱られるので、一生懸命になってやるが、どうも力が入って筋がつくのだ。
そうすると、「仏さまの身に傷をつける。仏身血を出す。五逆罪だ」と言うのだ。
「よこしてみろ」と師匠が自分でやって見せたが、ごみだけが箒にからまってゆくのだ。
それでも一年半、一生懸命に庭掃除をして、それから東京に出て立職した。浅草であったから東京の中でも寒い。寒い時であった。霜柱が五寸(15cm)以上も立つのだ。ことにその年は寒かった。そんな中で裸足で庭掃除をしていた。すると堂頭和尚が外に出かかって、わしの庭掃除しているのを見ているので、
「御前様(師匠の穆山師)が、庭掃除をするには、ごみだけ掃けば良い。砂を動かすなと言われましたが、なかなかできません」と言って、いささか自慢のつもりでやっていると、堂頭和尚は、うん、その通りだ。と言うのみで、そのうち少し気に入らぬところがあると見えて、箒をよこしてみなされ、とわしの持っている箒を取って、自分で掃いてみせた。やはりごみだけ箒にからまってゆく。こういうふうにやるのだ、と言って出てゆかれた。
その老師は穆山師について20年ぶったたかれた人だ。それを1年半修行したものが追っ付きようはないわけだ。お庭の掃除までがそのように師匠と弟子と活版刷りだ。