神宮寺岳について以下の様に紹介されています。
「神宮寺岳・嶽六所神社 大仙市神宮寺字神宮寺
13号大曲バイパスの雄物川川岸に立つピラミッド山である。遠くからもその秀麗な三角形の山が見ることができ人目を引く。登り口は雄物川側から。
「神宮寺岳(嶽六所神社)概要: 神宮寺岳は大仙市神宮寺にあり、雄物川川岸から聳え立つ秀麗な山として古来から信仰の対象となっていました。俗に言う神奈備と呼ばれる紡錘型の山で大宝年間に「延喜制式内社」の1つ副川神社が建立されました。
その後、副川神社は修験の対象にもなり観音信仰や熊野信仰と地名の名前の由来となったように神仏混合しました。江戸時代に入ると4代藩主佐竹義格によって副川神社は領内三国社(他に保呂羽山波宇志別神社と御岳山塩湯彦神社があります。)として再興されますが、藩の政策で現在の八郎潟町の高岳山へ遷座させます(高岳山は聖地で久保田城の鬼門にあたる為とも言われる)。神宮寺岳頂上付近には嶽六所神社、里宮には八幡神社が残り、現在でも信仰の対象となっていて、例祭には20本近くの梵天が神宮寺岳山頂へ奉納されます。」とある。
嶽六所神社(だけろくしょじんじゃ)。
場所:秋田県大仙市神宮寺字落貝7(「神宮寺岳」山頂)。JR「神宮寺」駅前方面から秋田県道30号線(神岡南外東由利線)を南下、雄物川に架かる「岳見橋」を渡り、約100mのところで左折(東へ)(「神宮寺岳入口」の案内板がある。)、約500m進んで左へ、更に約500m進むと「神宮寺岳」登山口。駐車スペースあり。そこから、登山道を山頂(標高277m)まで登る(徒歩約40分)。さして高い山ではないが、見たとおりの急坂。
出羽国式内社「副川神社」は現在、秋田県八郎潟町の「高岳山」山頂に鎮座しているが、中世には祭祀が廃絶しており、所在も不明になっていた。秋田に入封した領主・佐竹氏が式内社復興のため「保呂羽山波宇志別神社」社家・大友氏に鎮座地を探させたところ、「神宮寺岳」にあったと判ったが、城都の北方鎮護のため、敢えて「高岳山」山頂に再興された(前々項「副川神社」参照)。同様に廃絶していた式内社「塩湯彦神社」の本来の鎮座地には諸説あるが、「副川神社」の場合、「神宮寺岳」にあったことには殆ど異説がない。「神宮寺岳」(別名:「副川岳」、「岳山(だけやま)」)は、雄物川に玉川が合流する位置にあり、河畔からピラミッドのような形で立つ姿は「神奈備山」というに相応しい。現在も、JR奥羽本線(秋田新幹線)や国道13号線からもよく見え、旅路の目印となっている。式内社「副川神社」は、本来は「神宮寺岳」自体を神体山とした自然神だったと思われる。
社伝によれば、大宝元年(701年)に藤原不比等が奏聞して創建(「副川神社」として?)。同2年(702年)に斎藤安房守が「神宮寺岳」山頂に6堂を建立して6柱の神を祀ったという。大同2年(806年)には、坂上田村麻呂が里宮を建立、八幡大神を合わせ祀ったため、「八幡神社」が優勢になり、「副川神社」の名が隠れたという。なお、秋田県神社庁のHPによれば、現在の祭神は大田命、興玉命、句々土命、大山祇命、磐戸命の5柱で、「六所」には1柱足りないが、一説には鹽槌翁を加えるという。
なお、地元の蔵元「刈穂酒造」の関係者の方から聞いた話。当神社の祭礼として「嶽六所神社奉納梵天(神宮寺梵天)」があり、棒の先端に球状の装飾物を着けた「梵天(ぼんでん)」を担ぎ、一気に「神宮寺岳」山頂まで駆け上がる。「神宮寺岳」の神は女神で、「梵天」は男性のシンボルであることから、一気に駆け上がって「梵天」を届けると、女神がことのほか喜ばれる、という。」