2020年1月23日木曜日

1925「シャーマンライブツアー20」2020,1.23

 夕暮れ間近かですが予定は後2か所です。払田柵跡に向かいます。神宮寺岳と同じ大仙市内で、15分位で着きます。ここは先の紹介文にあった様に、文献資料にその名がないために、「幻の柵」とも呼ばれている、「いまだ謎多き遺跡・払田柵」です。以下の様に紹介されています。

「払田柵跡(ほったさくあと)         大仙市払田字仲谷地95
 今から約1,200年前の平安時代の初め頃、国家がこの地の統一を進めるために造った、役所と軍事、儀式の役割を持ったといわれている遺跡です。しかし、古文書などには記述が見られず、歴史上の名称が未だ解明されていないなど、多くの謎を秘めた遺跡でもあります。
 周囲を約3.6kmの材木塀で囲まれ、復元された外柵南門は高さ9.7mと広大なスケールを誇る払田柵跡。夏と冬にはその敷地で祭りも行われます。
 総合案内所ではアニメを交えた映像で、払田柵跡について知ることができます。散策前にはぜひお立ち寄りください。予約でガイド付きの歴史散策もお楽しみいただけます。
【発見】
 1902年頃、耕地整理の際に秋田県仙北郡千屋村(現在は美郷町)の水田から200本余の柵木が発見されました。けれどもこの木は燃料にされたり、下駄に加工され売られたりしました。しかし、後藤宙外が遺跡の存在に注目し、遺跡内の文字の書かれた木片を採集して、敦煌出土の「木簡」に似ていると論考しています。
 1930年3月に文部省に嘱託された上田三平が発掘調査を開始し、払田柵跡の存在が明らかとなりました。
 1930年10月には本格的な調査が開始され、その結果、1931年(昭和6年)3月30日に秋田県としては初めて国の史跡に指定されました。払田柵の遺構はその規模において陸奥国府が置かれたとされる多賀城を遥かに凌ぐものです。
【様々な学説】
 775年に秋田城から遷された出羽国府、すなわち「河辺府」とする説。
さらに、801年に、坂上田村麻呂が造胆沢城使となり、出羽権守文室綿麻呂を遣わして、河辺府、すなわち払田柵の造営に着手し、804年に完成したとする説。
 横手盆地南端部の雄勝郡内に設けられた雄勝城がのちに移転された説。現在あらためて注目されており、年輪年代測定の結果とも矛盾しないそうです。
 なお、雄勝城(おかちじょう/おかちのき)とは、出羽国雄勝郡(現在の秋田県雄物川流域地方)にあった日本の古代城柵。藤原朝狩が天平宝字3年(759年)に築造したとされています。
 現時点で発見されている城柵遺跡でこの条件に一致するものは払田柵跡のみです。」
詳しく沢山の写真で紹介しているこちらのサイトを参照ください。

 16時前に到着したのですが総合案内所は閉じています。お願いして向かいの秋田県埋蔵文化財センターでトイレをお借りしました。
 払田柵は外から見学しましたが、丁度日暮れの時で夕陽の織りなす光のグラデーションと靄の出現でこれまた幻想的な世界を見せて頂きました。








 最後に予定していた横手市の保呂羽山・波宇志別神社神楽殿はキャンセルして仙台へ向けて帰路に付きました。
 大曲駅で盛岡から参加のSさんとお別れです。


 その後、大曲ICから高速道路に乗ったのですが、その間に、またまた神宮寺岳のある姫神山系に沈む夕陽の変幻の世界を見せて頂きました。




 最後は大曲ICに向かう辺りでは全く靄に覆いつくされ視界が消えてしましました。



 自然の妙、不可思議な映像世界で、最後に素晴らしいおもてなし、お別れを頂きました。高速に乗ってからは又、綺麗な夕陽です。



 そして無事に仙台駅に19時半頃に到着し解散と成りました。濃厚な2日間の神人、陸奥・縄文・シャーマンライブツアーは実り多い恵みを頂き、終える事が出来ました。神人さん始め、参加いただいた皆様ありがとうございます。

 次回、神人さんの仙台でのイベントは3月6日から8日までで、神人ライブ、7時間講演会、アオモリケンジンライブです。是非とも参加下さい。詳しくは以下をご覧ください。