2020年1月31日金曜日

1933「南福島巨石巡り4」2020.1.31

 次の目的地は同じ二本松市の七尋石山巨石です。三つ岩から近く10分ほどで到着です。以下の様に紹介されています。

「七尋石山巨石       二本松市上川崎字七尋石地内七尋石山公園
 4号線から62号線、鬼婆で有名な安達が原ふるさと村に曲がる。ふるさと村から約4km行って、標識「福島・広域農道」に従い左折、800m行くと智恵子大橋が掛かっており、さらに700m直進すると十字路標識「七石山・右折」があるので従い、600m行けば右手に見える。
 稚児舞台より程近く、つつじの名所として知られています。ここには寛政年間、佐藤大膳太夫が居住していた「愛宕館」跡地で山頂には堂守(将軍地蔵尊)があり、三観音像や庚甲等の神号が刻まれた花崗岩の奇岩、自然石の文字を彫った塔碑なども残されています。現在では七尋石山公園として整備されています。」


  
「春にはつつじが美しく咲き誇る、風光明媚な公園です。佐藤大膳太夫の居住していた愛宕館の跡地に整備され、西国三十三観音像や風神、雷神などの神号が刻まれた、存在感のある巨大な石が印象的です。巨石のすぐ後ろには、将軍地蔵尊が祀られており、その周りには、自然石に文字が刻まれた数々の庚申塔が建てられ、地元の人々に信仰されています。
 巨石があるけれど、ただの石碑?「七尋」というからには、10m以上はある岩があるはずなのですが・・・まあとにかく、道路地図上の「七尋石公園」へは到着しました。
 しかしそこは案内板も駐車場もベンチもなし。公園の標示も全くありません。高さが1~2メートルの巨石が、丘の急な斜面に張り付いています。どことなく人為的な配置のようにも見えます。それぞれの岩には、何か文字のようなものが・・・・よく見ると、うっすらと「庚申」と彫られているものが多いようです。画面左側中央部にある、小さくて尖った岩にだけは、「西国三十三所」というはっきりした文字。いずれも近世の石碑で、古代の巨石信仰というわけではありません。
 たまたまこの近くに、農作業をしておられたご高齢の女性が見えたので、妻が行って話を聞きました。「七尋石」という石があるかどうかを聞いたのですが、よくわからないという答えでした。ただ、この丘の上には「愛宕様」のお社があり、火防せの神様で、そこへ登る道もあるということでした。道があるなら上に登ってみようと、お聞きしたところから細い道をジグザグに登ります。すると、見えてきたのです。巨大な立石が。」

 皆さんを七尋の巨石に案内しました。小高い山に巨石がそこかしことあります。少し山道を登りますが公園として整備されていますので木内さんも無難に上りました。道の正面に立石が聳え立ち迎えてくれました。宮城県丸森の立石よりは少し小さいですが巨大です。先ず皆さん揃って集合写真です。






巨石は亀裂が入り、はく離した様な所もありますが一体化して鎮座しています。岩の裏には社が祀られています。これが愛宕様でしょうか。更に山を登ると頂上です。石碑が立っています。この頂上が佐藤大膳太夫の居住していた愛宕館の跡地です。暫し、木々、岩を眺め雑談です。





 下りが逆方向に下ります。田んぼ脇に水路が流れのどかな良い所です。良く手入れをしていて大事に守られている様です。