私は始めて神宮寺岳に出会い、雄物川の悠々たる流れと相まってこの山容を拝した時、ここは何か特別なエネルギーがあり、かつての陸奥の原風景ではないかと思ったのでした。
雄物川に裾野を浸し、そそり立つように鎮座しているピラミッド型の山容は、何処からも見え、全てを兼ね備えている、この中心的存在だと思えました。ですから姫神山、大平山と連なる姫神火山群の北端の山で、信仰の山と成るのは必然と思えます。
何時か神人さんをお連れ出来たら、この神宮寺岳の事を審神者して下さるのではないかと期待していたのでした。2018年6月に津軽、秋田シャーマンライブツアーでの2日目にこの地の訪問を予定していたのですが、前日お母さまのご不幸があり、神人さん不在で皆さんを案内したのでした。そんな訳で、今回は再チャレンジです。
神宮寺岳も登山はせずに、雄物川の対岸の中川原コミュニティ公園から神宮寺岳を遙拝するのです。何度か訪れて遙拝するに的確な場所を探していて、どうやらこの場所からの眺望が一番良いのではとの結論に至ったのです。
公園に入り、大型バスがようやくカーブ出来て進める狭い道を抜け、野球場の脇の桜の木の所まで乗り入れました。
神宮寺岳について補足説明です。2011年、2017年にこの地を震源とする震度5を超える地震が発生しています。ここが震源になるのか?と不思議に思ったのです。更に、この地の要害を城として活かし、戊辰戦争等の時に激戦がなされたのです。
「神宮寺岳やその隣の姫神山は約600万年前,新第三紀中新世の古い安山岩質火山。神宮寺岳の形は溶岩ドームの形に見える。
現在の神宮寺岳の名は,修験道など中世の神仏習合のこの地方の中心地であったことの名残であると考えられる。
神宮寺岳の麓,雄物川と玉川の合流地点の南側に姫神公園があるが,この付近に前九年の役の頃,阿部氏の居城である松山城があったとされる。
秋田・庄内の戊辰戦争では,新政府軍側についた秋田久保田藩と旧幕府側の奥羽列藩同盟の庄内藩との戦闘が周辺各地で行われた。その戦闘の一つに神宮寺の戦いと呼ばれるものがあった。神宮寺岳にこもる久保田藩軍を庄内藩軍が激しく攻めたが,陥すことができなかったという経過をたどった。」
神人さんは雄物川の奥に鎮座する神宮寺岳に向かい、暫し審神者をしています。その後、以下の様にお話しくださいました。 「この山は人工物で、ピラミッドです。23000年前に作られたものです。昔は主要な川の近くにどこでもピラミッドを建てられていて、栄えていました。そしてこの地は川の主要な場所です。ここは信仰としてではなく、拠点の目印で、ここからエネルギーを発しています。頂上からのエネルギーと、人とのかかわりで不老不死の肉体になる事ができます。 ここは今も稼働しています。失われた栄光の跡でこの山はエネルギー装置です。当時は使い方を知って使っていましたが、今は分からずに信仰に使われている状態です。
かつてはここの地を中心に栄えていました。川沿いにあり、ピラミッドは2対である事が基本です。河川は時間で流れを変えていて、かつては違うところを流れています。」
そうなんだ!と納得のお話しでした。念願の神人さんの来訪を頂き、また新たな東北に秘められた真実が明らかにされ、謎が解かれた嬉しい出逢いでした。
次の目的地、大仙払田の払田柵跡に向かう車中から夕陽が神宮寺岳に沈む幻想的な情景を見せて頂きました。光、空、雲、山、川が織りなすエネルギーは自然の神々からの歓迎、喜びのメッセージの様でした。