2020年2月4日火曜日

1937「南福島巨石巡り8」2020.2.4

 午後最初の目的地は二本松市舟石にある巨石の「舟石」です。15分ほどで到着です。以下の様に紹介されています。

「舟石                 二本松市舟石
「舟石」と言う地名から若しかしてと思い探しに来たものであるが案の定であった。
国道4号線二本松から東北本線駅杉田駅に出る。駅裏側の川沿いを道なりに北上(左折)すると舟石町内に出るがこの舟石は町内入り口道路左脇に鎮座する。
 巨石群のある場合結構「舟石」と名がつく巨石があるが、単体でこれほどの見事な巨大な「舟石」はなく、私が見た舟石でこれ以上のものはない。正に全国区ではないか!どうして今までどなたも取り上げなかったのだろう!前からの全景」


 交通量もほどほどにある県道脇に鎮座しています。電柱等が無いと良かったのですが残念なことです。何ともユニークな形です。見る場所で名前の船の様であり、亀に見えたり、鯨に見えたりもするのです。これは何なんだ!という感じです。自然の物とは考えにくいしこんなところにぽつんと1個だけあるのです。
 皆さんで船に乗り込んで記念撮影です。呉越同舟ならぬ木内天命同舟です。






 次の目的地は二本松市錦町立石の大萬好石・弁天岩・吉祥寺立石です。10分ほどで到着です。先に吉祥寺ですが以下の様に紹介されています。少し長い引用になりますが、抜粋してお伝えします。

「古代「オリオン信仰」巨大三つ石か!」 https://hamada7.exblog.jp/
二本松吉祥寺は、巨岩群で有名な岩角山・岩角寺の直ぐ近くで道路端にある。岩上には寺があるが、神仏混淆から結局、寺になったようである。それにしては自然に出来たと思えぬ人型の巨岩である。これは参考掲載であるが、下記メンヒル等で十両に番付けした。
 この地から棒状石製品が出土し縄文中期、紀元前2500年前のものと判明している。
この棒状形から信仰もしくは呪術的な物として使用されたのではないかと推定されている。
棒状石製品は全長、0、85m、径、0、27mで当遺跡最大の出土品という事である。
この他、土器、石皿、土偶、石鏃石具類や無数の土器片が出土したとある。県の考古学会より、太古より崇拝された霊岩地帯と認められている。


 二本松市史第九巻によると、「・・・西新井地区の字立石に立石明神の石塔群がある。花崗岩の露出した自然岩塊の小山で大小四十数個の群からなり、太古から崇拝されたと見られる霊岩で周辺に石塔群があり・・」、「・・立石岩明神の近くにある真言宗寺院吉祥寺に・・・養蚕神の神像が安置されている。立石山吉祥寺が立石岩明神の別当寺である。・・」とある。蛇足だが根を下ろした神仏習合思想は明治新政府の神仏分離で想像以上に混乱をきたした様である。
 また、資料には、「立石一帯は縄文中期の遺跡でもあり・・・正徳寺創建、中世の葉の木山館の存在、鎮守慈眼明神の勧請等々、立石地帯は霊岩塊を中心とした、この地方の信仰と文化発祥地であった事が考えられます。・・・」とあり、「・・・後代の人たちも先人たちの意思を継承し、厚い敬神崇祖の念から折々に様々な石塔を立てあるいは種々の施設を施し、地区民の心の古里として現在の景観が築きあげられたものと思います。」と結んでいる。
 
 更に「・・・いにしえの信仰は森羅万象全てのものに霊が宿るとされ、先人達は巨岩や特異の岩石に石そのものの持つ自然性と重量感から特に畏敬を感じ信仰の対象とし、あるいは神仏の名を穿つなどして信仰してきたものと考えられます・・・」と記している。