「二十三夜塔 二本松市太田白髭110
巨石の一つ二十三夜塔(二本松指定有形民俗文化財)の看板には、「白髭宿は奥州相馬街道の中心にあり藩主が宿泊した本陣佐藤家や問屋遠藤家があって塩の道として江戸中期に栄えた!」と記されている。
巨石八つがあり、下記五つの他、今回探せなかったが山中木々の中に、呼ばり石、潜り石、博打石があると言う。生憎お名前をお聞きするのを失念してしまったが、地元高台に住む方に資料パンフを頂き、色々石に纏わるお話を頂いた。又出来るだけ早い時期に山林の巨石を御覧頂けるよう整備を進めたい…旨を伺い、有難い事と感謝申し上げる次第。
明神遊び石:巨石として私はこれをメインに位置付けた。これだけが全体像ではなく1m位下を見る事が出来るので、見る角度では更に巨大に見える。
上の松は200年以上も同じ姿を留めていると言い「夫婦松」と称する。
上段左 蛙石、右 椿石 下段左 庚申塔立石、右二十三夜塔
:庚申塔立石は二つの巨石が重なるように立っており達磨の様にもみえる。旧街道の道端にあった巨石である。巨石ファンとしては自然の巨石のままの崇拝対象が望みであるのだが、線刻にしても手が入ってる事は残念なのである・・・自然石に太い注連縄等が巻いてあったりするともうそれだけで歓声を上げたくなるのである。
:二十三夜塔はこれ一つ単体でも通用する巨石で廻り込めば薄っぺらな碑ではない事が分かる。
庚申塔立石にしても二十三夜塔にしても当該日に仲間が集まって飲食を共にし、お経を唱えて悪霊を追い払い素朴な信仰を村人は江戸の昔からほんの少しの前の現代に至るまで続けてきたに違いない。巨石ファンとしては是非一度「白髭八景石」を見る事をお勧めする。
残り3巨石については早く見たいのであるが、こればかりは地元の方々の雑木藪草刈り等の整備にお願いするしかない。」
https://hamadas.exblog.jp/13368609/
そもそも二十三夜塔とは月待行事の1つで最も盛んに全国各地で行われたものです。講中と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事です。更に以下の様にあります。
「旧暦23日の月待の記念として、二十三夜講中によって造立された塔である。二十三夜待は勢至菩薩を本尊とし、月待を行う日は、毎月23日、あるいは正月、5月、9月、11月の23日など、地方によって異なる。他の月待塔は地域による分布の偏りがあるのに対し、二十三夜塔は日本全国に分布している。文字塔と刻像塔があり、刻像は勢至菩薩が多い。二十三夜待は「三夜待」「三夜供養」のように二十を省略して呼ばれることがある。文字塔には「念三夜」や「月天子」と刻むものがある。」
「…旧暦23日の夜,すなわち二十三夜に講員が宿に集まって飲食をともにしながら月の出を待つことをいう。三夜様とも三夜供養ともいい,月待行事のなかでも最も盛んに行われた。月待のマチは,神のかたわらに待座する意味らしく,この夜には神の示現があると信じられていた。講は,村の小字,村全体,任意の者などを単位としていたが,女性,とくに嫁仲間で結成されることが多い。地方によっては,二十二夜を女性,二十三夜を男性の集りとする所もある。…」