2020年2月9日日曜日

1942「南福島巨石巡り13」2020.2.9

 駐車場から参道を進みます。真っ赤な木の実がたわわに実って迎えてくれます。山門を抜けて、心の池の阿吽橋を渡り、金華水の湧水池を見学しました。





以下の様に紹介されています。
 心の池:「水面が波立っていれば満月も歪んでしか映し出す事は出来ません。心もそれと同じで、動揺や計らいがあれば物事を正しく把握し、他人の心を理解する事は出来ません。容姿を映すためでなく、己が心を映し出すために造られたのが、この心の池です。」

阿吽橋:「橋板が左右2枚で一つの橋が架けられていて、行きと帰りを別の方を渡ります。「阿吽」とは密教で<一切の法の最初と窮極の象徴を解する>という意味です。「阿」は万物の発する理の本体であり、「吽」はそれが全て帰着する知徳を表しています。当山では、この橋を渡り、お山を参拝する事により人生に光明を与え、悪を退け、極楽への大往生が叶うとされています。橋の上から心の池に水鏡を取って自分の心を映して見て下さい。」

 金華水:「慈覚大師が開山の折り、この清水にて身を清め、一刀三礼の行法にて毘沙門天王を御刻みになったと伝えられています。清水は今なお滾々と湧き出ていて、いかなる旱魃にも尽きることがなく、清らかな水を満面と湛えております。その昔、この清水に黄金を供えて清水の如く黄金の倍増を祈ったと言われています。
 昨今では、お金にご縁があるようにと五円(ご縁)硬貨を2枚供えて祈り、その1枚を清水に投じ、残りの1枚を清水で洗い持ち帰れば金運の尽きることがないと、そのようにされる方々が多いようです。
 昔から「悪銭身に付かず」と言われますが、身を清め、心の垢を落として、悪銭を洗い清めると言う意味でこうした事が行われて来たのでしょう。こうした御利益も、ひとえに、ここで水垢りを取って刻まれた毘沙門天王の御功徳のおかげでしょう。
 昭和の初め、旧暦6月15日の早朝に、水面に金粉を撒き散らしたような、黄金の華が咲いたようになったことから、別名「黄金の清水(こがねのしみず)」とも呼ばれています。」


 皆さんは山に入り巨石巡りをされると思いきや、軟弱にもこの金華水を見学してお腹がいっぱいの様です。私はこの巨石群を何度か巡りましたが巨石マニアには楽しみ満載の散策路で、30分から40分くらいで巡れます。




 立派な境内で逸話も多いのですが、私としてここの頂けない点は、素晴らしい巨石に何故に仏像等を線刻してしまったのかです。自然石なのか、人工石なのか定かでありませんがそのままで良かったと想いますが仏教的教化政策なのでしょう。
 私達は暢気にお花見気分で境内を巡り車に戻りました。西日が良い加減で雲間から輝いていましたが、あっという間に雲に隠れてしまいました。


 車で少し進むと岩角山入り口に着きます。県道からの交差点で道を分岐する様に巨石が鎮座し小さな駐車場もあります。この巨石が蛇舐石です。以下の様に紹介されています。

「蛇舐石(じゃねぶりいし) 岩角山入り口
 岩角山蛇舐石の由来:承久年代(西・1219年)の頃この地に宗基と云う郷司が居り妻女を亡くしてからは日夜酒食に耽けり里人に過重なる年貢を課し、かつは里の婦女子を我がものとした乱業は目にあまるものがあった。宗基のために衣食に事欠き、身を滅し世を去って行った里人や里娘が日と共に増していった
 この人達の怨霊が蛇となって郷司宗基を亡ぼさんと館の岩に群り石を舐、岩を掘したと伝えられております。またこの岩に群る蛇が白蛇でありその様が冠の様にも見えたと云うので蛇冠石とも呼ばれております。
 岩上の観音像は昭和52年2月、岩角寺第36世住職 俊董僧正の発願により、仙台市の宮城交通株式会社社長 千葉三二郎翁から寄進され、白蛇観音として往時の、無縁の霊を慰めるべく建立されました。」


 ぐるりと嘗め回す様に蛇舐石を見学しました。謂れが事実かは別として、人の念は怖いものです。この様な物語を思いつく想像力に関心します。