まず、一番下の陰の爻(初爻)の場合です。この場合の「喜び」は「鳴豫 めいよ 」と名づけられています。「実力がないくせに傍若無人にはしゃぎまわる空騒ぎ」のことです。
下卦の一番下の爻は、上卦の一番下の爻(四爻)と「応」の関係にあるとされています。つまり、実力者の四爻の人物と自分は強い繋がりがある、血縁があるんだとうぬぼれて、そんなバックを誇ってまわりの人に威張り散らしたり、優越感を顕わに示すふるまいをするのです。
でも、本当はこの人には見るべき能力もないし、それを自覚して努力して自分を高めてゆこうという向上心もまったくありません。そんな中味がカラッポのくせに人を見下してバカにする、自分勝手に人を振り回すことだけを「喜び」にしていたら、君のこれからは「凶」そのものだよと、易の神様は厳しくお説教されています。どこかの国のナッツ姫がそうでしたね。
次は二爻ですが、これは特に私たちの仲間、同志へのアドバイスだそうです。易経の本文にはこうあります。
「介 かた きこと石の于 ごと し。日を終えず。貞 (中正)にして吉なり」
蒋介石さんの「介石」という名は、易経のこの箇所を採られたのだそうです。
石のように強い意志をもって、やがてやって来る「喜びの時節」に向けて実力を蓄える。そんな努力、修行が出来る今をこそ「喜び」としなさいとおっしゃいます。つまり現象に現われた喜びをフワフワ追いかけないで、必ずやって来る「本当の喜びの時」のために、いのちの実力を地道に堅実に黙々と蓄える準備の年としなさいとアドバイスして下さっているのです。
「日を終えず」というのは、そうはいっても人のやることですから、いっぱい過ちも犯すし、逸楽にふけるという場合もあるだろうけれど、そんな時は、その日のうちに反省して神様にお詫びしてサッパリし、次の日からはまたまっさらな気持で再出発しなさいとアドバイスして下さっています。
そして、その「強い意志」の方向は、天地に順じて定め、行動しなさいと教えて下さっています。神の意志(天の理)は人類を「分裂の時代」から「ユニティ(融合・一体化)の時代」に向わせようとしておられます。その向きに神流が流れています。そんな神のご意志の潮流に順じて身を任せて運ばれてゆくようにしなさい。そうすればホンモノの「喜び(神流楽 かんながら )」が体験出来るよと教えて下さっています。
また、「地の理」というものがあります。これは気の循環です。昼と夜の日周の循環があり、また四季の循環などもあります。そんな循環に逆らわないように行動すれば、苦労を少なくして、楽に成果を上げることができます。
たとえば、日没をむかえる時期に新たな事業をスタートさせてもうまくゆくはずがありません。日の出のタイミングで新事業を始めたらその事業は発展してゆけるでしょう。しかし、夜の間に必要なものをしっかり準備しておかなければ、日の出のタイミングで一気にスタートダッシュをかけるということは出来ませんね。