参加者の1人が全国一の宮の御朱印を集めていて、山下の社務所まで参道を下り、登ってきましたが30分ほどの参拝登山になりましたが、丁度私達が出発に間に合いました。
古代より、人は神を招き、感謝と祈りを捧げる祭祀を行っていました。人の招きに応えて、神が降臨される依代が、磐境(いわさか)または磐座(いわくら)です。また、神籬(ひもろぎ)や神奈備(かむなび)とも言われます。神聖と思われる巨石、大きな樹木、森、山などが依代と考えられました。石都々古和気神社では、点在する石が、神が降臨する依代と考えていたようです。どの様に祭りごとが為されていたのは知る由はありません。
以下は巨石を造形的に考察している記載です。参考に紹介しておきます。
「東北地方の巨石の事例は、インターネット上のyo-hamada氏のブログ「巨石!私の東北巨石番付」 (http://hamadas.exblog.jp/ 20130522現在) から所在情報をもらいました。氏のブログでは、石都々古和気神社(いわつつこわけ神社)とその近くの塩竈神社の巨石群として紹介されています。
この2つの神社と巨石群は、愛宕山と八幡山という一続きの山体の東方と南西方にあり、成因的にいいますと、一連の山をなす愛宕山・八幡山の風化花崗岩のコアストーン群ですので、「愛宕山・八幡山の巨石群」と呼ぶことにします。
また、愛宕山~八幡山の山体には、福島の名族石川氏の本城(三蘆城、三芦城・・・みよしじょう)が築かれ、愛宕山の山頂から山体の東半分が城塞化され、八幡山は城の本丸になっています。
時代順にいいますと、愛宕山・八幡山に、福島の名族石川氏の本城(三蘆城、三芦城・みよしじょう)が築かれ、廃城後、城の一部が石都々古和気神社となり、山裾の一角に塩竈神社が開かれたということになります。
なお、2.5万地形図には、343mの愛宕山のみが記され、その東方の八幡山(石都々古和気神社のある山)は注記されていません。
石都々古和気神社は、古代以来の神社らしく、名前から巨石に関係ありますので、信仰化された巨石があり、それが、中世の城となって、人工変化している例ではという興味で、探訪しました。
所在地の地質は、全山、中生代の阿武隈花崗岩の古期花崗閃緑岩です。全山風化してマサ砂の砂山となり、峰の高さがそろったなだらかな丸みを持った稜線の山となり、斜面はやや急、山麓は平らな沖積の谷底平野になっています。このなだらかな地形にアクセントをつけるように、所々の稜線や山裾に風化し残った花崗岩コアストーンが露出しています。
画像は、愛宕山山頂(三蘆城西館)の土塁と巨石。
山頂の石・・・2つある・・・を土塁に残し、掘り込んで郭の平地を造成したように見えます。)