2020年2月18日火曜日

1951「南福島巨石巡り22」2020.2.18

 午後最初の目的地の石都々古和気神社、八幡山巨石群を見学しました。石都々古和気神社は陸奥ノ国一ノ宮です。石川町役場の裏にあり、八幡山の山上にあります。118号線から狭い山道を登り境内横まで車で行きました。以下の様に紹介されています。

「石都々古和気神社・八幡山巨石群    石川町字下泉296
 石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ)は、延喜式内社の一つに数えられる古社で、古くから山岳信仰の聖地として、多くの方々に信崇敬されていました。又、全国的にも数少ない祭祀遺跡の跡地として、考古学的にも大変重要な遺跡といわれています。
 約一万年位前から信仰されており、多くの磐境が山々に点在していて、屏風岩、船形岩、鏡岩(2基)、亀石、天狗石、石門(鳥居)、更には三種の神器と言われる剣、玉(勾玉)、鏡等があります。
 御祭神は、味鉏高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)の三柱。味鉏高彦根命は、本土創造・農業・工業の神様、大国主命は、商売繁盛・家内安全の神様、誉田別命は、戦の神様。」

「永承六年(1051年)、京都の住人・福田安芸守源有光が奥州安部一族追討の軍に加わり、多大な功績をあげたため、八幡太郎源義家の代官となり、この地を賜った。そして康平六年(1061年)にはこの地へと移り、名を『 石川有光 』と改め、更に治暦二年(1066年)になると石川有光の守護神である京都石清水八幡宮の分霊をいただき、石都々古和気神社に合祀することとなったという。」
 以下お城の再現図です。
   

  陸奥ノ国一ノ宮石都々古和気神社の外に、石川町にごく近い東白川郡棚倉町に国指定重要文化財で、陸奥一之宮の馬場都々古別神社(ばばつつこわけじんじゃ)、奥州一之宮の八槻都々古別神社(やつきつつこわけじんじゃ)の2社があります。そしてその御祭神は、味耜高彦根命(あぢすきたかひこね)・日本武尊(やまとたける)ですのですので石都々古和気神社と、何らかの関係があることがわかります。そしてそれらが全て一の宮なのです。また、「延喜式神名帳」には、石都々古和気神社、馬場都都古和氣神社、八槻都々古別神社の名前があります。余程この地は大和朝廷にとっても重要視せざるをえなかった何かがありそうです。

「社前には北須川が流れ、神前橋がかかっている。入口の鳥居から階段を上ると、また鳥居。
左に続く参道は、木々が鬱蒼としており、巨石が点在。そこで、右に折れると、また鳥居。
鳥居の左手には、数メートルの巨石・立石が並んで壮観。

   参道の巨石
境内下にも巨石

当社には、瓜状の御神体石があるということだが、あるいは、この鳥居横の石のことかもしれないが、わからなかった。そこから階段を上る道にも巨石が点在。2つの丸い巨石が並んだ所にある階段の上が境内になる。
 当社は、石川氏の祖・福田利人が社殿を造営。その後、福田有光が当地に築城し、石清水八幡を勧請。よって、八幡宮と呼ばれていた神社。当社の東側が、三芦城本丸跡あるらしい。
 とにかく巨石の多い山域で、それぞれの巨石は、何故か割れているので、社名の石都々古和気神社も、なるほどと感じる。(それが社名の由来かどうかは別の話)。
社殿は新しく、本殿には屋根が付けられている。社殿左手に3つの境内社。祖霊社、多賀神社、諏訪神社。右手には石の五重塔と御神木高野槙、額殿・御輿殿がある。」
https://www.genbu.net/data/mutu/iwatutu_title.htm


以下のサイトはより詳しく、写真が沢山です
https://ameblo.jp/idjericho/entry-11035913751.html
http://www13.plala.or.jp/seihuukan/
https://www.food-fukushima.jp/iwatsutsukowake-jinja-ishikawa