2020年4月2日木曜日

1995「不思議体験2」2020.4.2

 今日は私の不思議体験を話しますが、テーマでお話をします。私の不思議体験は30才から50才は強く、20から30才はまだらで、20才までは稀ですが、それらは伏線の様に全部が繋がるのです。それらは過去からレールが敷かれていたと思う様に作られていて、それを私が選択させられていました。ある意味で、私が思考操作されていて、そう成るべくして成ったと思います。

 もしかしたら、皆さんもシナリオが書かれているかもしれない。各自に選択権を委ねられている様ですが、それも思考操作されているのかもしれないです。ですから「全てが導かれ今に至っている。」、が答えです。そして「全ては必要な経緯だ。」が答えだ。それらは自分の指導霊、守護霊が用意したものと考えられるのです。
 そう考えると楽になります。それらの事を受け入れられ、肯定し、感謝に至る、と言えるかもしれません。ですから「全てが必要としてあった。」、が結論です。
 前提の伏線が無いと繋がらないのです。私が何故、八戸、青森、日本で、それも日赤病院で生まれたのかの意味を感じました。そんな脚本は書けない展開です。なにしろ喜びに変わる意外性が奇跡的なのです。
 いつか私が経験した事を本にして、長編のものにして、映画化したい夢を持っています。それらは全ては指導霊の導きです。

 昭和44年1月20日に八戸市の日赤病院で生まれました。両親とも學校教師で、何故この2人の子供か、が意味があるのです。両親、2人とも無神論者の変わり者でした。昭和40年代の田舎では、結婚式は何日もかけてダラダラしました。ご祝儀を貰い、是までのものを回収するのです。しかし父母たちは学校行事を取り、自分たちは披露宴に出ないで過ごしました。2人いない中での披露宴になったのです。
 我が家には信仰心が無い。除夜の鐘を聞いたり、初詣に行ったり、を経験したことがないのです。クリスマスは小学校1年の時に1回だけ経験しました。父に「何をサンタに頼みたいか?」言われスキーを頼みました。そうしたらクリスマスの日にスキーが届いたのです。私はそれを見て大喜びです。しかし父に「サンタクロースは居ない。」と言われました。「どこの家も親がサンタの振りをしてやっていて、日本の馬鹿げた事だ。1度経験させるために今回やった。」と言われました。

 そこで何を学んだか。何が本当で、何が正しいのか。世間が間違っていて親が言う事が正しかった。両親とも無神論者の家庭でしたが、私は共働きの両親に代わり、祖父母に育てられました。祖父母のところには神棚、仏壇がありました。ですから私はその両方を幼少期から学んだのです。それぞれ別人種で、それにつき合う事を学んだのです。だからどちらも分かり、それぞれに忖度が出来るのです。

 しかし不思議な私個人の意味の分からない行動があったのです。小学校に入って信仰心が出て来るのです。祖父母は合掌し、手をすり合わせる祈り方をしていました。私も寝る時に布団の中で手を組んで祈っていました。「今日も守ってくれてありがとうございます。明日もお守りください。」と念じていました。

 本当の事と嘘の事を知る。それらが後で繋がって行く。祈りをする。神は内在の存在で、中から私を見ているという認識がありました。それは内宇宙です。本当の神を理解していたのです。共にあり、そこに意識を向けると1つになり、穏やかになるのです。
 眠る時に、祈りをすることが気持ち良く、暖かい気持ちになったのです。小学校高学年まで祈りをしていました。それが私にとって当たり前の儀式だったのです。