2020年4月7日火曜日

2000「不思議体験7」2020.4.7

 青森を出る時は夜行列車で行きました。皆に見送られ、泣いて出かけたのが、翌日には帰ってきたのです。ですから誰にも会えずに1か月間、じっと家に引きこもっていました。私の人生には、両方の極と極、天国と地獄が付いて回っています。その両極を見せられ学ぶ事になるのです。なんとも不思議な事です。
 1か月後これからどうするかと母親に聞かれました。そして東京へ一緒に行っても貰いました。この汚点は恥ずかしくて誰にも言えないです。消したい過去で、その蔵出しです。母に全部、部屋も選んでもらいました。己の無知が一番恥ずかしい事を知り、その経験が自分のコンプレックスでした。

 その様にして料理人になりたいとの思いで上京しました。でもその年の11月に青森に帰ってきました。そしたら父親が車を買っていたのです。それは現金で一括支払いで購入した新車でした。
 朝、皆が仕事へ出かけた後、私は黙って車で出かけました。私は未だ無免許で運転はしたことが無かったのですが、運転できると思ったのです。そして八甲田山へは一本道で、十和田湖へ行ってみたいと思ったのです。上級者コースの山越え道ですが自分には出来る、と変な自信がありました。そして無免許で運転したのです。

 酸ヶ湯温泉を越えた辺りから雪が降り出しました。そして少し行くと下り道で車がスリップして回転し、道路脇に横転してしまったのです。どうにか車から這い出せましたが、そこは吹雪の八甲田山だったのです。車だからと私は秋のスーツの服装だけで出かけていました。そんな恰好で道を歩いていたら後ろからクラクションが鳴りました。
 運転手が降りてきて「お前何している。死にに来たのか?早く車に乗れ。」「馬鹿ッ子!」と怒鳴られました。その方は山小屋の管理人で、その小屋に忘れ物を取りに青森から来ていました。そして道路のゲートを閉めて通行止めにするはずだったのです。
 もしその人が来なかったら私は完全に死んでいました。それから十和田湖と聞くと心がキューとくるのです。そしてその方に何度も言われたのが「馬鹿ッ子!」の言葉でした。
 車を引き揚げるのにその方は会社からレッカー車を持って来てくれました。しかしレッカー車では出来なくて、再度クレーン車を連れて来てくれました。その様にして会社と現場を3度往復して車を家に持って来てくれたのです。そして全て内緒で始末してくれました。

 その方は私のいのちの恩人です。しかし名前も覚えていないのです。お礼のお金も取らずに、その方も含めて大人3人が助けてくれました。これも奇跡です。「こんなことをして母親も何というか知らないぞ。父親が何というか。」と言い、その方が母親に事情を話してくれました。
 幾つかの奇跡が重なったのです。どう考えてみても不思議です。誰かが守ってくれていますが、その方も「お前は悪運が強い。」と言っていました。そして我が人生で最大に父親に怒られました。「あの車はいくらしたと思っているのか!」と。しかし黙って聞いていました。そして荷物を纏めて家を出ました。それから4年間、青森に帰りませんでした。

 10年前に父が学校長を退職した時、八戸へ行きました。その時に父と話しをしました。「犯罪者とヤクザになるなと言ったこと覚えているか?その事をどう思うか?」と聞きました。すると父は「言わなければ良かった。」と言います。
 でもそれがあって私は好き勝手をしたのでした。そして父は「子供は不幸事しか持ってこない。碌なことをしない。子供は小さい時しか喜びをくれない。」と言っていました。あの父親も老いると今の様になるのかと思って見ています。