やがて中学校入りました。当時は校内暴力の全盛期でした。そこでは私は被害者になりました。上級生にカツアゲされたのです。田んぼに背負い投げされました。警察に通報されたのですが、私は何をされても暴力はしないで、やられっぱなしでした。どれだけやられても腹を立てても手は出さない事で耐える事が出来ました。そんな私を、自分で自分の事を褒めていました。
非暴力は気持ちが良い。我慢する事に周りが気遣ってくれました。全てにおいて学ぶべき事が用意されていると思います。何時学ぶべきか。そこにはそうなる要因があるのです。それを察する能力は経験値の差です。察して逃げれば良かったのですが、進んで行った自分の中に過信があったのです。
危機管理能力です。それは学べるはずです。その事は幼少期に体験しておくべきことです。しかし戦後50年、その事がおろそかになり、生きる為に必要な経験が無く、危機管理能力が欠けて来ています。学歴優位の価値観が強すぎました。私には数々の経験が必要だったのです。加害者、被害者に成らずに、察する能力は事故に成らない為には必要です。
18才になりました。青森県の南部地方で育ち、津軽地方へ転校することになりました。同じ青森県でも種族が全く違うのです。そこに青森県では斗南藩の3つが絡んでいるのです。これらの事は明治政府、国による虐めです。中央に逆らった所にはその様な仕打ちがされました。その結果、その地域はまとまりを悪くしています。明らかな虐めです。人と人だけでなく、国による虐めがあるのです。そして残念ながら今、それが世の中にはびこっています。
先ず、南部と津軽とでは言語の違いがあります。私は南部の問題のある中学校から、津軽の問題のある中学校に転校したのです。「たけちゃんまん」です。そこには未来は予測可能だという意味があったのです。そして予定が帳消しになる事を中学2年で経験しました。
覚悟を決めて、どうでも良いと転校の中学校へ行きました。案の定、學校に行くなり、皆に囲まれてしまいました。そして色々言われたのですが、一体何を言っているのか分からないのです。聞いていると彼らのイントネーションが笑えて来るのです。私が言われてニヤニヤしていると、気持ち悪がられてこいつはヤバイと思われたようでした。何を言われても笑っていたのです。
丁度、前に東京から転校して来ていた子がいました。彼が後で話しかけてきました。そして「何を言っているか分からなかっただろう。」と言ってきたのです。そして青森高校に入る優秀な子供と一緒に津軽弁の勉強をしました。彼と仲良くなり、1年間楽しく中学生活を終えた。
その時、人生で唯一、物凄く勉強しました。高校の編入試験に受けたいと思っていたのです。その為に偏差値を上げようと頑張り、自分が生まれ変わろうとしました。毎日6時間は勉強をしました。私は前の中学校では下から10番以内だったのですが、転校して数か月後にはベスト3になったのです。その時の1番が青森高校、2番が弘前高校に入った人達でした。
すると凄いやつと私への評価が変わり、手のひらを返した様に人が周りに集まってきました。そんな事を初めて、中3になって味わいました。アイドル化していくのです。そこで頑張る子は愛されると言う事を知りました。何かを一生懸命したら愛されると学んだのです。それが1つの教えになりました。