2017年1月17日火曜日

822「陸奥光陰7」2017,1,17

 昼食は一関市の酒造メーカーの世嬉の一さんのレストランです。木内さんは大の餅好きです。一関市辺りでは餅料理が名物で、御もてなしの豪華な餅御膳が有名です。今回は郷土料理が満載のはっと汁とお餅の膳を皆さんで頂きました。



 作り酒屋ですから美味しいお酒がいっぱいです。しかしここの地ビールの蔵ビールは又格別な味です。皆さんで豪華にバイツェンで乾杯です。




  程なくして御もてなしの果宝餅が配られました。あんこ餅のお椀の中に小枝の小片が1個の椀だけに入っているのです。その小枝の入っているものを当てた方に幸運の1年、お宝が来るということです。そして褒美の世嬉の一のお酒を頂けるのです。今回は私が果宝を引き当てました。前回10月にあわ歌の中山さん達と訪れた時も私が引き当てていました。連続で幸運をいただけ、嬉しい限りです。


 心身満たされて、売店で皆さんお酒やビールを買い込んで、午後の目的地、平泉中尊寺に向かいます。
 中尊寺本堂には雪が残っています。金色堂も拝観しました。金、金、金と金尽くめです。陸奥に花開いた藤原王朝の栄華を偲ぶに十分です。








「金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物で1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって上棟されました。数ある中尊寺の堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術が集約された御堂です。
 内外に金箔の押された「皆金色」と称される金色堂の内陣部分は、はるか南洋の海からシルクロードを渡ってもたらされた夜光貝を用いた螺鈿細工。そして象牙や宝石によって飾られています。須弥檀の中心の阿弥陀如来は両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天を従えておられ、他に例のない仏像構成となっております。 
 この中尊寺を造営された初代清衡公をはじめとして、毛越寺を造営した二代基衡公、源義経を奥州に招きいれた三代秀衡公、そして四代泰衡公の亡骸は金色の棺に納められ、孔雀のあしらわれた須弥檀のなかに今も安置されております。 仏教美術の円熟期とも称される平安時代末期、東北地方の二度にわたる大きな戦いで家族をなくし、後にその東北地方を治めた清衡公が、戦いで亡くなってしまった全ての人々、そして故なくして死んでしまったすべての生き物の御魂を極楽浄土に導きこの地方に平和をもたらすべく建立した中尊寺の堂塔が古の栄華を今に伝えます。」

 日が大分傾いて来ました。最後の目的地は奥州市水沢区にある胆沢城跡の向かいにある奥州市埋蔵文化財調査センターで、入館ぎりぎりの16時に到着出来ました。




 ここでは蝦夷の長のアテルイ、そして大和朝廷の征夷大将軍坂上田村麻呂との関わり、胆沢城の歴史を知ることが出来る施設です。早速30分間のビデオ鑑賞です。
 アテルイと坂上田村麻呂の事に付いては以下のサイトが分かり易いかも知れません。
 

 ビデオを見て、展示品を観賞しましたが木内さんはここでの捉え方、表現はちょっと違うという、違和感を抱いたようです。勝者側の歴史観なのでしょう。蝦夷の世界に付いてももっと知り、確認する必要がると感じたようです。何ゆえに縄文時代の数千年にわたり、この陸奥の地が栄え、継続出来たのか。そこには自然との関わり、生態系への配慮、イワクラの様な人工的な天文技術を含めて、これからの新しい世界に向かうに当たり多くの叡智が隠されており、これから木内さんの稀有な能力、役割で更に深く探求することに成りそうです。

 閉館間際まで観賞してバスは一路、仙台駅へ向かいました。バスの車中でも木内さんから色々なお話がありましたが、実り大きい陸奥の光と陰の旅でした。


 仙台駅でのお別れ会はいつもの中華屋さんですが、その中で次回は3月3日は講演会、4~5日に「アラハバキ・アテルイの旅」が決まりました。ご縁の方々の参加をお願いします。
3月3日「未来のスサノウの循環型社会構築へ向けてno1」
3月4~5日「木内鶴彦と巡る アラハバキ・アテルイの旅」

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