2017年10月22日日曜日

1100「鬼門6」2017,10,22

 10月7~8日は陸奥鬼門の旅です。今まで中山博さん東北各地をそれぞれのテーマ、課題で巡って来ていますが、空白域がありました。東北の中心として早池峰山を考えた時にその南西方法、鬼門のエリアです。福島県西会津、山形県小国、南陽、新潟県北部です。ここは南陽には訪れましたが、他は何故か足を運ぶ機会がありませんでした。これまで東北各他を巡りようやく条件が整い、前提条件をクリアできたのでいよいよ満を持しての巡りと成ったようです。これが新たな道開きの一つに成るのではないでしょうか。

 朝7時半に仙台駅に集合です。今回は10名の面々での巡りで、999の車2台です。天気は生憎の雨で、気温も低めです。皆さん元気に一路西会津に向かいます。

 最初の目的地は弘法岩屋です。西会津町野沢三坂上安座(あざ)地区の山中にある巨石の下に作られた岩屋で、弘法大師所縁のものと言われています。下見に行った時に安座地区の山間の里の雰囲気に魅せられました。山は岩山でそこかしこで岩壁、巨岩が見えるのです。



 そして岩屋のある山まで15分程の山道を登るのですが、その道から見下ろせる山間の田んぼ、畑、人家の景色は昔話に登場するような光景です。

 果たして雨だと山道が危ないな等と思いながら車を東北自動車から磐越道に、猪苗代湖、磐梯山、会津市を抜けて車は進みます。やがて雨が上がり会津辺りから西の方に青空が見え始めたのです。幸運の女神がお計らいを下さったようです。許可を頂きありがたいことです。

 西会津ICで高速道路を降りて道の駅で休憩して弘法岩屋に向かいます。実は毎回あわ歌の巡りに参加して下さっている那須のSさんは以前にこの弘法岩屋を訪れていました。そのきっかけは2014年11月24日に中山さんから頂いた以下のお言葉にありました。

 その内容は「光と響きとあい」のブログ「ミッション「北西へ73kの地」に参られよ!」2014年12月12日に記されてありますのでお読みください。
https://ameblo.jp/aifukaki/day-20141212.html
 
 Sさんは探し当ててこの弘法岩屋を訪れたのですが、お言葉に「北西73キロ先にある、大きな気を有する場を鎮め参られませ。これより大事をおさえたし。」とあります。中山さんにはこのようにお言葉には数字や言葉、図形などで目的の場所を伝えることが度々あります。果たしてどのような仕組みになっているのか分りませんが、ほとんどその箇所が特定出来て、次への繋がりとなって展開していきます。分らない者には不思議な世界です。

 無事に到着しました。弘法大師の石柱が立ち、案内板があります。そこには以下の様に記されています。
 景勝安座と弘法岩屋
「昔、この地域周囲一里余りの沼がありまして、神代から百尋の大蛇が住み沼の主になっていました。
 宝亀十一年六月二十日、大地震がありまして、岩が崩れて沼を埋めてしまい、大蛇は死んだと言われています。
 その後、この霊、日夜、里人を苦しめていて、いかんともしがたいなと思っていたところ、大同二年、弘法大師の巡鍚がありました。それで、嶮岨なる岩窟に入りまして、護摩を修め、悪霊を鎮めてくださいました。
 大師は去るとき、自らの姿を刻み、岩窟に安置してくださいました。その後、弘法岩屋を称しまして、村名は沼岡村を安座村に改めた、と言われています。
(現在、蛇ヶ森に大蛇の遺骸を埋めたところ蛇塚と称してある)」

 宝亀十一年に大地震が起きているのです。中山さんの言葉の意味も納得です。調べると
「宝亀は770年から781年までの期間を指す。この時代の天皇は光仁天皇。宝亀11(780)年、陸奥国伊治郡司、反乱を起こす宝亀の乱。」とあります。
 地震のあった時、宝亀11年は蝦夷によって宝亀の乱が東北で発生しているのです。