「烏帽子山八幡宮の創建は寛治7年(1093)に源義家の弟である加茂義綱が祠を建立した事が始まりとされています。
境内には烏帽子石と呼ばれる巨石があり、古来から赤湯七石に数えられ信仰の対象になっていたと思われます。中世に入ると山岳信仰とも関係が深くなり烏帽子石には梵字や年号などが刻み込まれています。烏帽子石は高さ約3m、重量10数トン、石には板碑と思われる彫り込みが7箇所あり中には天文6年(1537)の銘が読み取れる事から少なくともこれ以前のものと思われます。元文から明和年間(1736~1771)に編纂された古文書「米府鹿の子」によると「塩釜明神より慈覚大師の方へ使の神来り問答終り塩釜に帰らんとする時 えぼしを置きたる石なり」とあります。烏帽子石は民俗学的に貴重な事から昭和43年(1968)に南陽市指定文化財に指定されています。
又、参道にある石造大鳥居は継ぎ目がない1本の石から切り出されたもので同形式のものとしては日本で1番大きいとされています。大鳥居は明治35年(1902)から明治36年(1903)にかけて製作したもので石工吉田善之助と建師市川良次が中心となり、当時の赤湯の住民の多くが携わったとされます。材質は烏帽子山八幡宮の境内背後から切り出した凝灰石で総高10.75m、笠石12.7m、柱心間7.65m、平成14年(2002)に南陽市指定文化財に指定されています。祭神:應神天皇、菅原道眞、鳴雷神。」
巨大な鳥居を見て烏帽子岩を見学しました。ここも特にあわ歌を響かせる事も無く、参拝、見学だけです。
昼食は直ぐ近くのお蕎麦屋さんで、ここで時間調整がうまい具合に出来ました。
そば処よしだやで二色蕎麦を頂きました。この日午前は大波石で十分という感じです。ゆっくり寛ぎモードで美味しい新蕎麦、野菜に大満足です。
午後の最初は南陽市の鬼面石です。民話に次のような話が伝えられています。
「「鬼面石」のある山には大蛇が棲んでおり、金山地区からの登り口は「竜の口」とも呼ばれていた。大蛇は時に大雨を降らし、土砂を流して村を埋めたといわれ、「蟒み沢(おかばみさわ)」として恐れられていた(因みに、「蟒」は普通、「うわばみ」と読んで、大蛇を意味する。東北地方では「おかばみ」という大蛇がいて、一説には手足がある蛇だともいう。)。「鬼面石」は「唐戸石」とも呼ばれていたが、そこには「隠れ座頭」という仙人が住んでいて、七日盆の日には向かいの山まで綱を張って忍術の道具や装束などを虫干ししたりしていた。この日には村人も決してこの山に近づかなかった。
しかし、仙人も、「蟒み沢」の大蛇が暴れるのに堪り兼ね、金縛りの術で大蛇を押さえつけようとした。大蛇も大雨を降らせるなどして抵抗したが、ついに仙人の術が勝って、大蛇は小さな白蛇に変えられ、川樋地区の諏訪明神の使いにされてしまった。以来、川樋の諏訪明神は雨乞いの神として信仰されるようになった。」というもの。
しかし現地の案内板には以下の様にあります。
「「鬼面石」には大きな洞穴があり、そこに鬼が棲んでいた。鬼は、ここを通る旅人を襲って金品を奪うので、人々から恐れられていた。鬼は、七日盆の日に、奪った着物を岩と岩の間に渡した竿に干したが、それを見た者は長者になるとも盲目になるともいわれた。」
道路から見上げるとその巨石が目に入ります。目のある顔のような巨石です。
あわ歌無しで中山さんのお言葉だけ頂きました。
「お~ (拍手)
お出ましなされよ(拍手)
わの仲間なり。伝えを広める。(拍手)
するするり お~。遥かな西より巡り来る。
大波くれぐれご注意なされよ。
その後、激しき事ごとなり。
皆々写すぞ。(拍手)
あい分りたり。承知。」13:33
お言葉に「西より来る大波を注意とのこと、その後は激しき事ごと」とあります。果たして如何でしょうか。
実はここを以前下見で訪れた時にこの巨石でカモシカと遭遇したのです。鹿は神の使いでしょうか、顔を見合わせて暫し時間が止まって咄嗟に写真を撮りました。その時の写真です。