2017年10月25日水曜日

1103「鬼門9」2017,10,25

 新潟県阿賀町岩谷にある平等寺薬師堂と将軍杉に向かいます。
 駐車場には何台か止まっています。先ず平等寺を拝観しました。萱拭きの苔むしたお堂はその歴史を感じます。



「平等寺(びょうどうじ)は、新潟県東蒲原郡阿賀町岩谷にある曹洞宗の寺。
 平安時代後期の武将・平維茂によって創建されたと伝えられており、維茂が船で川を下っていると金色に光る小さな(一寸八分)の薬師如来像を見つけ、これを薬師堂に安置したといわれる。当初は平氏の郎党を弔うとして平党寺と名付けられたが、鎌倉幕府をはばかり現在の名となったという。
 現在の薬師堂は1519年(永正16年)に僧・永源(えいげん)によって建てられ、1923年(大正12年)2月28日に国の重要文化財に指定された。堂内には古い参拝者の落書きがあり、なかでも1578年(天正6年)に蘆名氏の兵士たちが書いたものは当時の様子を知る上でも貴重である。また、境内脇には国の天然記念物である将軍杉がある。」

 お目当ては道を隔てある将軍杉ですのでそちらに向かいます。ほんの数分でその雄姿が目に入ってきます。巨木を囲む様に木の歩道が整備されています。将軍杉の説明は以下の様にあります。

「将軍杉(しょうぐんすぎ)は新潟県東蒲原郡阿賀町岩谷にある国の天然記念物に指定された杉である。樹齢1400年、高さ約40m、幹周り19.31mで日本一の太さがある。
 将軍杉の名の由来は会津藩初代藩主保科正之によって、過去に著名な人物が会津の地に埋もれていないか調べさせた。すると三川の地に平維茂の墓がある事を知り、林鵞峯(はやしがほう・林恕 はやししのぶ)に碑文を作らせ、この杉の傍らにあった平維茂の墓に新たに「鎮守府将軍平維茂碑並銘」を建立した事による。」
 と記されています。つまり、この将軍杉は維茂を埋葬した地にその目印として植えられたと伝えられる大木です。そして傍らに保科正之(3代将軍徳川家光の異母兄弟)が維茂の墓標を建立したのです。
 






 この巨木を見て中山さんは興味を示されました。昨日のあわ歌唱和会で描かれた絵のWが連想されたようです。暫し木の周りを巡りその姿に見入っていました。他の拝観者が居なくなったので南側から杉に向かってあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「よくよくお聞き下され。
 この地に居りて多くの年月過ごし来て、
 光りと共の時過ごして、この身を捧げる多くの地下の方々、
 皆々しっかり成し来たり、ここにあり。
 是よりの時、この地の下の方々と、光りと一つと成りなって、
 ますます立派に立ち行かん。
 皆様もこの事を知りて、共々に一つに。」14:08


 歌の途中には見学者が多数来たのですが遠慮して下さり、ありがたきことでした。次の目的地は弥彦山の弥彦神社ですが、昨日Kさんに頂いたお言葉の「はまなすの里」が気になります。昨晩、私が調べた所では新潟県胎内市の日本海の海岸に「はまなすの丘」があるのです。そのことを中山さんにお話したところ、そちらへ行こうという事になりました。 中山さんも何度か弥彦神社に行かれていますので、そちらはキャンセルになりました。
一路、日本海に車は進みます。