「2009年4月15日 正午の伝え その後のQ&A 」
Q: 新しいあわの歌を多くの人が歌えるようになるのは、もう近いのでしょうか?
A: その旨今お伝えさせていただきました。今までこの身は多くの方々につかわれて、学びの時過ごし遅くなりたるは、皆々様に あいすまぬことでした。これよりはご自分でうけられよ。
Q: あわの歌を歌える人は、一人ずつ指名される形になるでしょうか?
A: 差別は無しぞ。ご自分のその身に向かいて歌われる方は全てなり。持ちたる心はその場であらわるる。これよりははっきりいたします。
Q: 今、お言葉を頂いてる神様のお名前を教えて頂けますでしょうか?
A: 神の御名はありませぬ。神の御名つけるは全てこの地の方々なり。それぞれの隠れし集団の中にありて、その名を名乗りて神となしておるのみぞ。われもしておるはこの身にありし御霊、昔よりの多くのこと申しており、これよりのことみなみな多くの思いなり。
Q: 今、私がこんなに苦しいのは何故なんでしょうか?
A: あなた様のこれまでをこの時に全てここへ出されて光となして、一切を無とするため。あなた様自身がそのことをする苦しみなり。無くなりてうれしきとなる。
Q: あわの歌はいつ頃、どなたの神様によってお作りになられたのでしょうか?
A; 言葉の前ぞ。音うまれし時なれば、この身にまことの魂入りたるその時に、この大きなる宇宙とともにあるためなり。この四十八の音により全てがつながり、この身が生き生きとなり。この宇宙の理と調和し、生き生き、生き生きとなるもの。その時を明らかにするより、あなた様がこの音にて喜ぶことぞ。
Q: あわの歌は自分に歌いたいと思う時に、いつでも歌っていいのでしょうか?
A: はい、大丈夫です。たぶん変な気持ちがあると歌えなくなるでしょうから。歌える人は大丈夫です。
Q: 他の人が”歌いたい”と言われた時に、どのように伝えるのがいいでしょう?
A: 言葉は書いてありますよね。ですから一回あなたが歌えるなら歌ってみて、あとはご自分でつくられてください。どんな言い方でもいいんです。「あ」なら「あ」の音がちゃんとしてればいいんです。抑揚、ふし、そういうものでは無いと思います。言えなければ、あれをただ発しているだけでいいと思います。ただ、だんだん気持ちよくなって自分の何かが出来て来るはずです。
Q: という事は、人によってかなり歌い方が違っても問題はないという事ですか?
A: はい。誰かの一つにすればそれが神となってわざわいとなります。そのことをしないようにしてください。ただし、ひとのために歌うんじゃないですからね。自分ですからね。誰かのために歌うとたちまち何かが来ます。
(注:「誰かの一つにすれば」というのは、誰か一人の歌い方が唯一の正しい歌い方で、それをそっくり真似するという意味だと思われます。これはS,Hさんのコメントです。)
如何でしょうか。私はこの4月15日以降、中山さんのお言葉に呼応してあわ歌を歌をことを選択しました。しかしその時、T,Mさんからは「あわ歌を歌うものは中山博と共に地獄に落ちる。」とまで言われたことがありました。
そして翌5月に中山さんとの「中山博氏と巡る東日高見の聖地巡礼の旅」を私が主催していましたが、T,Mさんの影響でしょうか、ほぼ半数の方がキャンセルされました。しかし淡々と巡りをさせて頂きました。