10月6日は中山博さんのあわ歌会でした。2ヶ月ぶりです。前日に山形のあわ歌会があり、夜に仙台に到着していましたので夕食をご一緒しました。
中山さんはまた少し痩せて、一段とスッキリされた様子です。大事なお役目、行を為されているのでしょう。いつ終わるとも言えぬその世界の変化は今大きな峠にあるようです。取り敢えず11月が重要な時のようです。
中山さんはお酒もほとんど召し上がらず、食も細くなり、器としての身体の改造もなられているのでしょう。大いなる存在から受け取れる存在にとの変化です。それだけ大きな、微細なものとの情報交信がなられているようです。その意味は翌日のあわ歌会で中山さんのあわ歌の響きを体感し実感出来ました。
6日のあわ歌会には私はいつものように15時から参加しました。会場には既に中山さんの響きが広がっています。雑用をしていても何故か集中できずに頭がボーとしてきます。
私の前に拝受したK,Hさんの時には横になってしまいました。そのK,Hさんのお言葉です。
「「訪れ来たりた、はまなすの里
これより見事にいきいきと、その地が生まれて現すは、
あなた様の大いなるその思い、果たして成し遂げ嬉しきへ」
この言葉はどんな意味があるのか中山さんK,Hさん始め検討会です。「はまなすの里」がキーワードです。結果的にこの内容が翌日からの巡りのポイントになるのです。
今回のあわ歌会に参加した皆さんに中山さんのお手伝いをして行動を共にしているOさんから中山さんのあわ歌に付いての資料を配布して頂いていました。以前に頂いている中山さんのお言葉です。大事な節目の時に頂いた貴重な内容です。私も改めて読み返しましたが、重要な事が沢山あります。既に10年近く経過していて、初めての方も増えているので是までの経緯を知っていただくことが必要だとの認識で配布して下さったようです。
その内容をここでも紹介します。
最初のは、2009年4月15日正午の伝え です。この時までは、あわ歌は許可のある人以外は歌ってはいけないとされていました。中山さんはそれを取り払い、皆さんが一緒に歌えるような導きを為された日が2009年4月15日で、その発意のお言葉です。
・「2009年4月15日正午の伝え 」
『かたじけなきことなり。多くの皆々この地にありて、永きに渡りて重き荷負いて進みて来られたること、まことにご苦労でした。ここに我ら、その大きなる元となりておるものお詫び申すなり。
過ちは大きなる重き荷となりて続きてまいりたり。これよりこの事一切を無しとなして、 新しく道開くなり。皆々、大き源へ向かわれよ。大き源、全てを迎えんとてあいの光、みなみなへ発せられております。皆々それぞれご自分の光かざして進まれよ。何事も頼る必要なしぞ。しっかりこの今見つめて、生き生きと楽しく嬉しくまいりてくだされ。
皆々ともぞ、差別は無しぞ。上下区別は人つくりたる世界なり。その世は既に終わりたり。
古きもの跋扈しておるは、我、口惜しきなる事なるが、これもともなり、ありがたき教えぞ。そのお役まことにご苦労なり。幕は引かれたり、退場なされ。皆々様も全てのとらわれ無しとなりてまいられよ。
新しきに向かいてこの地の多く、全てとともなるはこの四十八の音なり。この音、皆々しっかりと身につけられて発すれば、その身は生き生き魂光り、心たいらかなりて、その身に安心の柱立つなり。これこそこの地の海、山、川、木々、草々、生き物全てをうれしきとなすなり。
皆々ともに発してまいろうぞ。 ここに新しくを歌い、響きとなす。
~ あわの歌 ~
アカハナマ イキヒニミウク フヌムエケ ヘネメオコホノ
モトロソヨ ヲテレセヱツル スユンチリ シヰタラサヤワ
これよりこの歌、あいふかき心持ち、それぞれご自分のその身にお聞かせなされよ。それぞれのものとなさりて新しき御世へとまいりませ。ありがとう。』