・2011年11月11日11時 飯山111回の会 開始前のお伝え
『 ただ今より皆々様に申すこと、このあわ歌の新しき道なり。
皆々それぞれその身に取り入れ、大きなる身となりなって、新しきへ参られませ。
このあわ歌、もともと元なる音を発して響き行けば、その身に光となりて届く大きなる仕組みぞ。これこの時に皆々に伝えるは、大きなるこの宇宙の進みの時なるためなり。永きに渡りたこれまでの御世は、これこの大きなる過ちとともに終了いたすなり。
皆々様にも持ち来たりておらるる旧き事々、みなみなこのあわ歌にお預けなさりて、その身に一切無しとなされませ。
この時全ては差別も区別も無しとなりて、それぞれのまことをここにあらわされませ。 このことにより皆々様は軽き身となりて、柔らかき思いで新しきを受け取られます。
このあわ歌、響きは日毎に増し来て、降る降る光も大きくなりなった。光はいつも皆々様のもとにあり、これしっかりと受けられてその身のものとなされませ。
この皆々様のその身を守りし多くの体の小さきものたち、光の子と成り行きて、いかなることにも大丈夫となります。それぞれのその身の力は計りきれず、この計りきれぬ力を備えておられます。これよりの新しきへ向かい行くため、その力を発揮なされ大きなる身となるとはこのことぞ。
響きなされ。あわ歌響かせなされ。嬉しきを。この響きはこの宇宙の喜びとなりなって、 輝きまする大きな日を迎えました。
ここにあるこの身は永きにわたりて、これよりの日のため、歌いて歩きて、広めてまいりたり。多くの方々のご支援賜り続けてまいりました。これからが皆様方の時代なり。
ともども参るとひたすら申して参りました。これよりがこのまことなり。まこと成し行くは皆々様のまことの 嬉しきぞ。まことの嬉しきは他に何も要らぬ思いと成り行くなり。 この思い広く伝わり行けば、この地のこの今と大きなる変わり様なり。
今皆々、この身に少しでも何かを加えて安心を得ようとなさる故、欲となり、その心ますます不安を募らせ、大きなる争いへと繋がり行きます。皆々様、無くして行かれなされ、余分を。この余分を絶たれれば、楽に繋がります。
これよりそれぞれの響きと降り注ぐ光にて、変わりて参られませ。生まれ来る来るこの大きなる新しきへ、向かいて来られませ。 嬉しきなるぞ。
これまでのこの話にて解られたる方、思いを定めて参りて下されませ。この思い、揺らぎては何事もならず。ひたすらしっかり持ち来たりませ。これより送り来る光にて、出で来る事々、みなみなこの人類の思いなり。この起こり来る事をしっかり見られて、そのまことの意味を知りて下され。
皆々が永きに渡りて成し来たりたる事ぞ。ここに現し出でたるものは引き受け、消し去りましょう。そのために皆々様には、見るに耐えぬ、聞きたくなき闇が現れ出でます。しっかり思いは定められ、嬉しき日々を生み出だし新しきへと参りましょうぞ。定まりたる方は共々にお願い申します (3柏手)
あいの光 あいの響き あいの音 送りたり 』
その時の様子はこのブログの以下に詳しく記されていますので興味のある方はご覧下さい。
[124.「飯山」2011年11月16日]
その最後に以下の様に記していました。
「2011年11月11日11分111回あわ歌会に参加した皆さんに中山さんからカードにメッセージを頂きました。私が頂いたお言葉は以下でした。
「さて、それから 大事な日々を頼みたし」
そして16日に頂いたお言葉です。
「ここにありて、この時を迎え、これよりを過ごすは、大きなる恵みなり。良し悪しは無きなり。その身の御魂にあいたること、しっかりと見らるるなり。定めて、預けて、過ごし行けば、嬉しきへと参らるる。柱は一つ、しっかり。」
果たしてこれから如何様な世界が展開していくのか楽しみです。」
あの時からかれこれ6年が過ぎています。